第107回 フーコー、フルトヴェングラー、そして塩田剛三に学ぶ 物事の本質のつかみ方(その1)
今回のタイトルについて、「『最初の“フーコー”を見て、“フーコーの原理”だ』と決めつけているような人がいたとすると、そんな人は理系だ!」と決めつける人がいたら、そのような人に聞いてみたい質問を次の中から考えてみよう。
1)あなたは文系ですか?
2)あなたは”フーコーの振り子の原理“が説明できますか?
3)あなたの発言をフーコーはどう思うのか考えたことがありますか?
ということで、今回のメルマガは上記3名、ミッシェル・フーコー、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、塩田剛三だ。この偉大な三名について、わからない読者はWebで調べて頂いた後で、もう一度、今回のメルマガに戻るのも多いに結構だ。むしろ、おすすめしたい。ご参考までに、フルトヴェングラー、塩田剛三については、You-Tubeでも是非、聴いて、そして見て頂きたい。
特に塩田剛三については、かのロバート・ケネディが日本に来日した時に、彼が連れてきたSPを子ども扱いにした映像が見られるので、「合気道はやらせ」などと思っている読者がいたら、チェックして頂きたい。
私は、合気道そのものの経験はないが、中学、高校は柔道、そして大学に入ってから、合気道に似た体術、その術理に基づく空手と棒術も15年ほどやっていた。その経験からも言えるのだが、「素人には相手が巨漢であれば、あるほど技をかけやすい」ということだ。重心が高い相手や巨漢に限らず素人は余計なところに力みがあるので、そんな相手を崩したり、投げたりというのは実はそれほど難しくない。
但し、それは素人であって、武道や格闘技経験者になると話は別だ。あるいはこなれたストリートファイターならば、相当に難しい。その意味で、You-tubeの画像を見てほしい。いともたやすく弟子たちを投げ捨てる塩田剛三を見ていたロバート・ケネディが、自分のSPたち(当然、武道、格闘技経験者)にやってみろ、といった後の画像だ。このときに、塩田剛三は逃げずに処理した。
このような状況では、多くの「武道師範」は、「怪我をするので、あなたにはかけられない」と言う。そんな時、「あなた、プロの武道家なら、私が怪我をしないように術を使うこともできるでしょう。そして、万一怪我をしても私の責任です。必要ならば一筆書きましょうか?」と言ってその師範に迫り「やらせ」かどうかの確認をしたくなるは私だけではないだろう。それでも、「出来ない」という師範は「逃げた」と見られても仕方がない。もちろん、「武道師範」にこうして挑む場合は、覚悟が必要だ。武道や格闘技好きの間では良く知られている息の長い漫画「バキシリーズ(範馬刃牙)」に出てくる「渋川剛気」のモデルが塩田剛三だというのもうなずける。
さて、20世紀前半の最大の指揮者に移ろう。「クラシック音楽ファンにとっては、フルトヴェングラーは説明不要!」と思い込むと、これもまたまた「きめつけの罠」にはまってしまう。仮に、「にわかファン」を除いたとしても、知らないファンは増えているのは事実のようだ。
ところで、You-Tubeで見ると、ドイツ週間ニュース 1942年4月22日 総統誕生日演奏会他と題した画像がある。フルトヴェングラーのファンであったヒトラーが、念願かなってフルトヴェングラーに演奏させたときの模様だ。「だから、ナチ協力の疑惑で、シカゴ交響楽団の常任指揮者のポジションが破断になったんでしょ!つまり、芸術家が政治家にからめとられてしまった」と言う方がいたら、その人に尋ねなければならない。
フルトヴェングラーがナチスに対して、敢然として友人を守り抜いた事実を、どう考えるのだろうか?と。その中には、世界的に有名なシモン・ゴールドベルクもいる。他者を安直に批判すると、思考の浅さをさらけ出すこともある、そのことを覚悟しながら批判しなければならない。
さて、最後にふれたいのがミッシェル・フーコー。フーコーについて語る、というのは哲学者ではない私には荷が重すぎる。哲学者の中でも、フーコーについては語りたくない、語らないという人もいるだろう。音楽や武道について語るのと、哲学者について語るのでは、語る側の意識は大きく異なる。
もし、フーコーが今もいたら「いいんだよ。あなたはあなたの思うままに語って」と笑顔を浮かべて言ってくれるのかもしれない。もちろん、「ただし、そのためにはちょっとだけ根気のいる思考を深める作業が必要だよ。」という「但し書き」の理解がどこまでできるのかが気になる。
私に対して、「Critical Talkなんていうタイトルをつけているのだから、君には説明はいらないね。」と言ってくれたら、たしかにありがたい。ただ、そう思うよりも、確実にプレッシャーの方が強くなるだろう。フーコーが言うように「事実とか言うけれど、自分の論拠の正当性を守るだけの事実なんかにとびついてはダメだよ。」ということを実践するのは、容易な作業ではない。
さて、ここまで読んで頂いた方は冒頭の考えるクイズの答えは出ているはずだ。
えっ?まだ? では、一応、今回はここで終了しよう。次回まで、じっくりと考えてみよう。そして、もう一つ、次のことばは今回の3人の誰が述べていたかも考えて頂きたい。
「私たちは有機的に思索し、有機的に感覚します。すべての有機体、すべての植物、すべての動物はこの意味において、私たちにとって一つの「全体」を形づくります。
次回に続く