第103回 自己肥大したナルシストが見失う「己の矩」
前回、プロフェッショナルの言葉の力と有言実行について書いているが、都知事の問題は反面教師としては、あまりにわかりやすい。先日、髪を切りに行ったお店で「東京カレンダー」という雑誌をお店のスタッフがあるページを開いて見せてくれた。
すると、そこには「2013年、勝利者たちの酒宴」として、その特集のトップバッターとして知事が「栄光を勝ち取った日には金色に輝くシャンパンで乾杯を」という自らのコメントとシャンパングラスを片手にした大きな写真があった。多くの人の力によって、ということばはなく、あたかも自分の力で勝ち取ったというおごりを垣間見たのは私だけではないだろう。
以前はむしろ為政者たちに切り込んでいったジャーナリストとして売ってきただけに、見ていて痛々しいものがある。「己の欲するところに従えども矩をこえず」という論語のことばは彼ならば十分知っているはずだ。
それにしても、この件に限らず、こうした「矩をこえてしまった」為政者、知識人、有名人が増えてきた。安直に彼等、彼女たちをまつりあげてしまうマスメディアも問題だ。そして、「知識人」たちのことばやマスメディアが流す情報を鵜呑みにする思考依存症の人たちが増えてきたことにも起因している。周りがチヤホヤしてくると、調子に乗って出来ないことをクライアントから引き受けてしまうコンサルタントや研修講師も同様だ。
人間、誰しもことをなすためには、自意識も自信も必要であるが、それが次第に肥大してきて自意識過剰と過信が芽生えてくると危険信号が点滅する。世間での認知は、あるには越したことはないが、有名になることが目的ではないはずだ。それにもかかわらず、自己肥大したナルシストたちは、本来の職務や使命を忘れて、矩をこえてしまう。
友人の一人でプロコーチをやっている方が、以前、このことを「矢印が自分に向かっている」と表現した。まさに、やるべきことに向かっていないという意味だ。冷静に観察するとその見極めはつくし、「矢印が自分に向かったナルシスト」を見ると、興ざめする。
「フラット化する世界」を書いたトーマス・フリードマンはその著書の中でデジタル革命が進む現代において求められるキーワードの一つとしてTransparencyをとりあげている。つまり、透明性が高まってくる社会の中でリーダーたちはみっともないことがないようにそれこそ有言実行が試されている。それは我々にも求められていることは言うまでもない。