第95回 「クリティカルトーク」を書くときに心がけていること

「活発に批判する習慣は、社会の革新に欠かすことができない。国を愛するあまり、活力に満ちた批判を遮ってしまうような国民は、自国を救うことができない。しかし、愛のない批判、破壊力はあるが制度を育て、強化し、繁栄されることのできない批判もまた、国を救うことができない。批判のない恋人や、愛のない批判家は、社会の革新を促すことはできないのである。」 (「自己革新」ジョン・W・ガードナー著、新訳版、矢野陽一朗、英治出版、改定版序文より)

ちょうど2年前のこのメルマガ第71回から第76回まで、別に意図したわけではないが東日本大震災と、特にその後の福島原発の問題について思うままに書いてきた。

 厳しいことも述べてきたし、憤りも隠さず書いた。

 もちろん、厳しいことを言える立場なのだろうか?専門家でない自分が批判していいのだろうか?感情的な攻撃になっていないだろうか?マスコミから「袋だたき」状態になっているような当事者達(例えば東京電力、保安院、政府首脳幹部)にも、彼等の立場や出来ることの限界をどこまで冷静に考えられるだろう?そして、なによりも、被災された方々、(今も)非難所で不便な暮らしを強いられている方々に対して、どこまで想いを馳せることができるだろうか?と自問自答をくりかえして、悩みながら書いてきた。

ニ年前の6月ごろ、政府のリーダーシップ不足と当時原発参与となった田坂広志氏に対して厳しいこと(第73回「平田オリザ氏と田坂広志さんへの最後の期待:日本版「英国王のスピーチ」は実現するか?」参照)を述べていた私に、「当事者ではないから、私は(船川さんのような)批判をしません!」と強い口調で迫ってきた人がいた。彼なりの正義感から出たことばだとおもった。

 実は、この73回の原稿は提出前に、信頼のおける複数の友人に「査読」をお願いした。何しろ、人材開発育成者、ファシリテーター、コーチあるいは本を良く読む向学心のある方々の間には、田坂氏を信奉する、あるいは、(当時までは)していた方は少なくない。私が個人攻撃をしていると受け止めてほしくなかったからだ。

私が2年前、田坂氏の言動に違和感を禁じえなかったのは、この原稿に述べたとおりだが、「天の声」を聞いて内閣参与になったと真顔で書いてしまったこと、その直前には、「大震災は起こるべくして起きた」と同じ配信されるメール通信に書いているという事実。加えて、当時はあくまでも社会起業家としてのスタンスの人が原発の専門家になってしまったのか?という素朴な疑問も残った。もちろん、本人がそのメール配信で、

そして、かつて原子力工学の研究者として道を歩み、

 「原子力施設の環境安全研究」で学位を頂いたことも

 この日のために天が与えた配剤であったのかもしれない

と述べていることは承知の上だ。

今、彼は時には「エネルギー問題」はもちろん、「スマートシティ」そして、「高レベル放射性廃棄物の処分」のエキスパートとしてメディアへの露出を高めている。

 もちろん、「使用済み燃料の地層処分」の論文を書かかれていることは認識している。しかし、彼の「学者としてのスタンス」を疑問視する専門家達は少なくない。詳細はここでは触れないが、決定的な論理破綻を見抜いた人達もいる。

私が2年経った今、再び田坂氏の名前を出して書いているのは、バッシングではない。

「博士号を持つ専門家」、「エキスパート」という肩書に平伏したり、思考依存することなく、

原発推進派と反対派、「御用学者」と「トンデモ学者」というラベリングで思考を止めることなく、

そして、「己の正義感」につきうごされて視野狭窄にならない「批反」ではない批判精神を失うことなく、

かみあう議論をしながら「誰が正しい」ではなく「なにが正しい」のか、

しかも、「どちらも正しいように見える」という状態で、本質を深くほりさげていくことをもっとやっていくべきだ、ということを共有したいからだ。

冒頭、引用したジョン・ガードナーは

「私たちの目の前にあるのは、解決できない問題であるかのように偽装された、息を呑むような機会の数々である」

と述べている。

3・11の津波の被害、原発の問題はまさに息をのむような出来事だ。そして、まだ続く「汚染水」の問題、原発を止める、動かすにかかわらず取り組まなければならない「使用済み核燃料処理」の問題もそうだ。

ニ年前に書いたことをもう一度、強調したい。「やり直すのは今だ!」似て非なるものには、厳しい目を向けて、そしてあくまでも建設的に前を見ながら、問題から、そして自分から逃げない、逃げたくない。そのぐらい出来ないと、申し訳ない。生き残っている我々は。