第89回 「明治のままの教育パラダイム」からの呪縛を解く

今年、何度か大学で講演をする機会があって、このメルマガでも教育の問題に言及してきた。以前から指摘してきた知識偏重と思考力軽視、一問一答主義による想像力の欠如、理系と文系の間でバカの壁を高くしまったこと、こうした問題の原因には、「教育パラダイム」が明治維新の時代と変わっていないと述べた。

そこで、今回はこのテーマについて、もう少し掘り下げて考えてみたい。

学制が公布、施行されてから今年は、ちょうど140年経つ。確かに日本の教育制度は、レベルが落ちてきたとは言え、世界標準からいってもそんなに悪くない。加えて、高い識字率、一斉教育、反復練習など世界がこれまで称賛してきた面は大いにある。当時は、国を挙げて欧州から必死に学びとり、近代国家を築いたというプラスの側面は誰もが称賛していることだ。

しかし、独創性の欠如という課題は当時から明確に指摘されていた。

NHKスペシャルで、「明治」を特集した番組があり、その本の中で興味深い個所があったので、紹介したい。当時多数のお雇い外国人教師がいたことは良く知られているが、「Nスペ」で取り上げた人の中で、ヘンリー・ダイアーの話が出色だ。

ダイアーは、工部大学で今の校長にあたる立場で日本に近代技術を教えたが、彼は専門技術だけではなく、本物の「知性」を持っていた人でもあった。ダイアーのことばを紹介しよう。

「私は、諸君に情報(information)、知識(knowledge)、および教育(education)の相違を印象づけたいと思います。

 情報は以前には形のなかったものを形づくる過程であり、知識は完備した情報であります。

 一方、知的教育というものは知性を訓練することであります。

 諸君は非常に多くの孤立した諸事実を知らされているでしょう。しかしこのような情報は、諸君がこれらの諸事実の間に存在する関係を熟知したときにはじめて知識となるのであります。」

途中で、補足すると、情報、知識、教育についての相互関連をみごとに表現している。「諸事実の間に存在する関係を熟知」するとは、点在するincident(出来事)やfact(事実)、あるいは断片的な知識の関係性を知るという意味で、それによって本当の知識になるという箴言を述べている。

私はビジネススクールで教えるようになって17年になるが、気になっていることがある。それは、ケースメソッドでは、事実から導きだされる意味合いとそれまで学んできた経営のフレームワークが結びついていくことは重要であるけれども、学びたてのフレームワークに事実をはめ込みたがるような受講生が少なからずいる。

それでは、パターン認識のレベルにすぎない。それどころか、「フレームワークの囚人」になってしまう。「諸事実の間に存在する関係を熟知する」ためには、それを可能とする知識、経験、教養が全て結びついて出来るのだ。

ダイアーのことばにもどろう。

「他方において、諸君はかなり多くの知識を持っていても、なおかつ非常に不完全にしか教育されていないかもしれません。

 諸君の有する専門としての知識や技術と育とものづくり、独創力をいかに育てるか」

明治六年、(1873年)24歳の若さで来いうものが、独創的、個性的、創造的なアイディアを生み出すような方法で習得されたものでなければ、諸君はみずからの学習の主人ではなく、奴隷であり、それは諸君自身にとっても、他人にとっても全く役に立たないものであります。

 とくに日本の学生諸君に印象づける必要があるのが、知識と教育との区別であります。」

 (ヘンリー・ダイアー『生産と技術』―「技術者の教育」より)

  以上、NHKスペシャル、「明治2 教日し、工部大学校の今の教頭のポジションについたダイアーは、同校の演説で、試験のみを目的とすることの弊害も指摘していたようだ。

こうしてみると、「教育パラダイム」の課題の根深さがうかがえる。

しかし、その負の部分に留まるのか、古い「教育パラダイム」から抜け出て考えるのかは、最終的には個人の選択だ。

今週は山中さんのips細胞の研究でノーベル賞受賞のニュースに元気づけられた人は多いだろう。1973年、ノーベル物理学賞を受賞された江崎玲於奈氏は「ノーベル賞をとるためには、してはいけない五カ条」として次をあげている。

1 今までの行きがかりにとらわれてはいけいない。しがらみという呪縛を解かない限り、思いきった創造性の発揮などは望めない

2 教えはいくら受けてもよいが、大先生にのめり込んではいけない。のめり込むと権威の呪縛は避けられず、自由奔放な若さを失い、自分の想像力も委縮する

3 無用ながらくた情報に惑わされてはいけない

4 自分の主張をつらぬくためには戦うことを避けてはいけない

5 子供のようなあくなき好奇心と初々しい感性を失ってはいけない

江崎氏は以上をノーベル賞をとるための十分条件ではなく、単なる必要条件だと補足されている。

「ノーベル賞なんか我々には関係ない」という声が聞こえてきそうだ。しかし、140年も続いてきた「明治からの教育パラダイム」から自由になることは誰にでもできそうだ。我々次第で。