第85回 日本のエリートはなぜ「想定外」の問題解決に弱いのか?(その3)
前回、エリートにひれ伏しやすい我々の課題ぬきには、この問題 ― 日本のエリートがなぜ「想定外」の問題に遭遇したときに脆弱なのか - の本質は見えてこないとのべた。
ある企業研修での出来事だ。その参加者20名の半分は、私のセッションを受ける半年前にある有名講師の研修も受けていた。私もその講師は良く知っているので、彼が語る内容について、参加者に聞いてみた。ところが、その講師の話を聞いていたはずの人達の反応があまりにも悪かった。つまり、ほとんどその内容を覚えていないのだ。その講師が、当日は別の話をした、ということでもない。
すると、参加者の一人が「難しいことばが一杯でてきたので、よく覚えていないのですよ。」とようやく理由を教えてくれたので、すかさず「質問して止めればいいじゃないですか?あの講師は止められて怒るような方ではないですよ。」と言ったら、「略歴の紹介で、●●●●●大学に留学していたとか聞いたら、ひれ伏しちゃいました」と述べた。すると、他の人も述べてくれた。「ちょっと、一人だけ質問するような雰囲気じゃなかったですよ」と。私はなんとも、もったいない話だと思った。「つっこめば、おそらくその講師ならばおもしろい話もしただろうし、本気もだしたのに・・」と。
以前、「頭の生活習慣病克服法」(講談社刊)の中で、思考停止の原因として、思考放棄症と思考依存症があると述べた。思考依存症は、1)他の人もそうじゃないか、他社もやっているからいいじゃないか、と集団への依存する場合。2)社長が言っているからやっていればいい、という権威への依存。3)小難しそうなはやりのビジネス用語を聞くと、ことばそのものに依存して「バズワード症候群」。4)過去もそうだったから、今もいいという経験に依存する継続思考 という4タイプに分類した。
「ひれ伏し文化」はこの権威への依存であるが、この参加者の話を聞いて、根深い合併症であると再認識した。つまり、2番の留学した大学名(もちろんエリート校の名前)に依存していただけではなく、他の人も黙って聞いているから、という1番の同調行動。3番のバズワード症候群も影響している。
今から17年前、日本にもどってきた私がワークショップやビジネススクールで教え始めて最初に感じたカルチャーショックがインタラクション、つまり話し手と聞き手のやりとりのなさだ。言い換えると、4年間、シリコンバレーを中心に200回以上セッションを行って、鍛えられたのが、こちらが話している時に、いつでも参加者からの「つっこみ」を受けることだ。確認や質問だけではなく、こちらの見解と同意しないばあいは、同意しないと彼等は遠慮なく反論してきた。そこから展開すれば、お互いの学びや気づきは深くなる。
日本人の場合、話を聞きながら、「わからないのは私だけだろう」と思ってしまうことも上記の同調行動を強めてしまう原因の一つだ。欧米人だけではなく、中国人もインド人も分からない時はすぐに聞いてくる。
そもそも日本では学校の先生が、生徒からの「つっこみ」を嫌がっていたし、それよりも先生の言わんとすることを慮って、答えてきた生徒の成績が上がるというシステムの中でこの国のエリートは育ってきた。
そんな彼らに対して、我々がひれ伏したてままでは、当然、彼等も「想定内」から出てこないのだ。つまり、我々の素朴な質問、疑問、確認、あるいはこちらからの反論を遠慮なく行うことが、脱「ひれ伏し文化」の第一歩だ。