第81回 政治家と官僚達の言語感覚から学ぶコミュニケーションの本質
永田町と霞が関界隈の人達の発言が問題になることは、何も今に始まったことではない。今回は、もはや恒常化してきてしまった政治家や官僚の舌禍事件について考えてみたい。
迂闊な発言だけではなく、彼等の言語感覚だ。多様な受け手を想定していない想像力とセンシティビィティの欠如があまりにも目立つ。直近の事例で内閣府が作成した自殺対策強化月間のキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」には空いた口がふさがらない、と思ったのは私だけではないだろう。納税者の一人として、強調しておくと破棄するポスターにかけた300万円だけではなく、このプロジェクトかけた予算は1億4千万以上あるとのことだ。
さて、こうした呆れた問題がたしかに多いのだが、我々にも気をつけることがある。彼等の挙げ足とりをしたがるマスコミと、そうした問題発言を利用する政治家の悪癖や官僚たちの思惑の存在だ。それを認識しておかないと、いいようにきりとって発信する報道側、つまり「切り取り文化」に今度は我々がミスリードされてしまう。従って、我々は一方的に非難するのではなく、まさにクリティカルに見極めていかなければならない。そうでないと、「空転する国会」ということばになれきってしまうぐらいに不毛な議論を続ける為政者たちの状況をむしろ、我々が増幅することになってしまう。
例えば、昨年の鉢呂氏の放射能発言はその典型とも言える。いささか旧聞になるが、確認しておこう。福島からもどってきた鉢呂氏に、「(鉢呂さんは)放射能大丈夫ですか?」と投げかけた記者がいた。それに対して、(そんなことを言うなら)「つけてやろうか?」というようなことを言いながら、【しぐさ】をしたというのが実態だ。大手マスコミの記事も鉢呂氏の発言が「放射能をつけてやる」、「つけちゃうぞ」「つけてやろうか」などとことばが全く一致していなかったことに、私は疑問を持った。その後、鉢呂氏の会見の中で「放射能をつける」ということばは言わない、と述べていたのでピーンときた。つまり、「放射性物質」、「放射線」、「放射能」ということばのきちんとした理解がないのはマスコミの方だったのだ。その後、この件は上杉隆氏が「仕組まれた舌禍事件」であったことを詳細に解説していた。
その一方で、これまた直近の事例になるが、自民党の石原伸晃氏の「エイリアン発言」は弁護の余地がないだろう。今月、6日のBS朝日の番組で、高齢者の終末期医療でおなかの外から直接胃に管をつないで栄養を補給する「胃ろう」を受ける患者に関し、「映画で、寄生したエイリアンが人間を食べて生きているみたい」と述べてしまった件だ。実際に映像で前後の脈絡を考慮しながら見てみても、これはあまりにもセンシティビティに欠けたものである言わざるを得ない。
発信する側は常に受け手を想定する、コミュニケーションは受け手がきめるという原則、同時に受信側は「切り取り文化」と情報洪水の中で、冷静に且つクリティカルにことばを検証する、つまり、お互いに、ことばを研ぎ澄まして、大事にしていきたいものだ。