第80回 朋友と盟友に支えられて・・

お正月明け、拙宅に私の幼馴染の友人がきてくれた。一人はこのメルマガの読者なら知っていらっしゃる方は少なくないのではないだろうか? 話し方研究所、所長の櫻井弘氏、著書も多く「話し方」のベストセラーを数多く書いている有名講師だ。実は、彼とは小学校、4,5年の時からのつきあいが未だに続いている。

櫻井氏も以前は私同様、決して短くはないサラリーマン経験を持ち、その経験が今の仕事にもいきている、とお互いに語ったことがあった。彼は子供の時から、人をひきつける話しをしていたので、プロ講師になった時には、私は「櫻井は天職をみつけたね!」と言った。

もう一人の友人は私のことを2歳から知っている、つまり、私の人生をほとんど知っている者。私が「東芝を辞め、海外に行く」という時期に、彼と二人で食事をしたことがあった。「実は結婚する」という彼の話と「実は海外放浪の旅にでる」という私で話しは盛り上がる中、彼は「まあ、でもその方がお前らしいよな・・・。変な言いかただけど、お前がもし、辞めずにずっとサラリーマンになったら俺はがっかりるかもね・・・」と言ってくれた。彼のことばはその後大きな励みになった。当時はそんな無謀なことをする私の数少ない理解者であった。

友人と言えば、今月10日、日本経済新聞、「交遊抄」に、22年前からの盟友、HOYA最高執行責任者浜田宏氏が「アリゾナの落日」と題してビジネススクールの想い出を中心に私のことを書いてくれた。二人とも30代、身銭組という当時のマイナリティー。

当時保険金部門で既に多くの部下をまとめていた浜田氏と、戦略立案事務局を担当していた私は、同僚や上司から、(辞めていくのは)「勿体ない」と言われた。

日本がバブルの頂点にあった頃ですから、「なんで今さら・・」と言っていた人は少なくなかったのです。

そして、二人とも、ビジネススクールに入ってから、「学ぶってこんなに楽しかったんだっ!」に開眼し、就職活動をしながら卒業するという米国人学生と同じ条件でやりぬき、その後、当時シリコンバレーでユニークなコンサルティングを提供していたClarke Consulting Groupに私が入り、一度日本にもどった彼を推挙した。ここで二人でもがきながらもいろいろな案件を経験し、インハウスのコンサルとしてデル・コンピューターの日本支社に送りこまれた浜田氏は請われて同社のスタッフになり、8年後にはデル・ジャパンの社長になった。

2003年、能率協会のHRD大会では二人でグローバルリーダーについての講演と対談も行った。

彼の「交遊抄」の最後、次の文章でまとめていた。

「サボテンと岩山の砂漠の中の大学院でともに悩み、学んだ戦友がいたからこそ、ここまでなんとか歩んで来た。いつか2人でアリゾナを訪ね、乾いた風に当たりながら夕日を眺めたい。」

この個所を読んだ時、「あいつ・・・、こんなことを書いて・・」とつぶやきながら、不覚にも涙してしまった。この場を借りて、書いておこう。

「浜田さん、あなたがいたから私も戦えたのですよ。・・負けそうになる自分との戦いに」