第73回 平田オリザ氏と田坂広志さんへの最後の期待:日本版「英国王のスピーチ」は実現するか?

震災から100日。次々と明らかになる原発の問題をめぐる政府、東京電力、保安院の不手際と情報隠蔽と思わざるを得ない対応に多くの人が憤りを覚えている。本日(10日)の新聞では、東日本大震災から一夜明けた3月12日午前8時39分に、放射性物質が外部に漏れていることを保安院は認識していた旨の記事が載っていた。ほぼ連日、保安員のスポークスマンとして我々もテレビでなじみの西山英彦審議官は「隠す意図はなかったが、国民に示すという発想がなかった」と釈明している。

このコメント、冷静に読むとあまりにもおかしな話だ。彼に聞いてみたいのは、「なんでその発想がなかったんですか?それって、国民をバカにしているんですか?それとも、あなたはあまりにも視野狭窄になってしまったんですか?一体、我々の税金で行ってきたハーバードで何を勉強してきたんですか?まさか、『私が行ったのはロースクールだから・・』とか言い訳しないですよね!?」と。

もちろん、彼だけを責めているのではない。責められるべきは、保安院でいうならば、地震の翌日、炉心溶融について率直に触れていた中村審議員を更迭するように圧力をかけた者、もしくはその組織的圧力だ。そして、なによりも原子力行政の指導監督義務を果たさなかったにもかかわらず、東京電力や政府に責任転嫁をしようという姿勢だ。

それにしても、あまりにもバカげた話しが多すぎないか?と思っているのは私だけではないだろう。強い放射線、瓦礫と厳しい状態の福島原発建屋に入っていけるロボットは日本にはないという話であったが、先日、日本のメーカーが開発し、電力会社にデモも実施していたというテレビ番組があった。ところが、電力会社は興味を示さなかったという。「原発に非常時用のロボットを置くと、安全性を疑われるので、置かない」というコメントが出た。「飛行機に緊急脱出ドアはつけませんでした。つけると飛行機に乗る人が不安に思うんで・・」という話だ。なぜ、ここまで「安全神話」で思考を止めてしまったのだろうか?

そして、一向に一丸となって被災地復興、原発沈静化に動けない、動こうとしないのでは?としか見えない首相と民主党幹部の面々。同様に、党利党略がちらつく野党の様子。この一月、特に目についてきたのは、放射線測定や放射能物質からいかに子供たちを守るかについては国を待てない自治体が動き出している点だ。もはや、政府は見切りをつけられたということではないだろうか。

さて、このメルマガの読者の皆さんならば、田坂広志さんが内閣参与の任命を受けていることはご存知だろう。私は田坂さんの本は何冊か読み、西洋哲学と東洋思想の知恵を融和し、深みのある構想力の持ち主として理解していた。しかし、いくら、ダボス会議で首相のスピーチライターをやった田坂さんとは言え、原発担当参与というのは違和感を持った。社会企業家として活動してきた田坂さんだからだ。「管さんのカウンセラーじゃないの?」と推論した友人がいた。なるほど、中途半端に「原発にはオレが一番詳しいんだ」と言ってみたり、官僚をあまりにも敵視しすぎたり、怒鳴りまくってきた結果、人心が離反してきたと言われている首相のカウンセラー役なら、アリか?と思った。「カウンセラー」ではなく「原発担当」と言わないと「管おろし派」にやられてしまうであろうことも、考えられる。

政治の世界は確かに我々のわからない力学が働いてしまうのだろう。盛んにマスコミが繰り返す「やはり市民活動出身の総理では無理」というような論調の前提には、「だから官僚がいい。政治家の二世がいい」というすりこみが見え隠れする。「たしかに管さんは変わってしまった。ただ『市民活動家』と言われてしまうのはくやしい」と永六輔氏はラジオで述べていた。その一方で、二世でもなんでも、属性に関係なく、プロの政治家として期待出来る人がでれば我々は大歓迎ではないだろうか。前にも書いたように今こそ、クリティカルな目が必要だ。

友人とその話をした夜、ちょうど、田坂さんのメルマガ「風の便り」が届いていた。以前、名刺交換をして以来、自動的に届くようになったものだ。残念ながら、一読して、「カウンセラー説」ではないと判断せざるをえなかった。田坂さんが多くの人に共有してほしい書かれているので、そのまま転載させて頂く。

<以下4月11日特別便全文引用>

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       田坂広志 「風の便り」 特別便      

        いま、内閣官房参与として        

       福島原発事故に取り組んでいます      

        この仕事をお受けした心境を       

           メッセージ動画          

      「いま、あなたに何ができるのか」      

         によってお伝えします         

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 田坂です。

 3月27日の夜、

 人生の転機が訪れました。

 東日本大震災によって引き起こされた

 福島原発事故。

 この事故対策のため、原子力の専門家として

 政府に助言をして頂きたい。

 総理から内閣官房参与就任の要請を受けたとき

 聞こえてきたのは、いつものように

 「天の声」でした。

 それが、たとえ

 「火中の栗を拾う」仕事であったとしても

 誰かがやらなければならない仕事。

 そして、かつて原子力工学の研究者として道を歩み、

 「原子力施設の環境安全研究」で学位を頂いたことも

 この日のために天が与えた配剤であったのかもしれない。

 そう思った瞬間に、覚悟は定まりました。

 それから、2週間余り。

 週末も返上し、早朝から深夜まで

 福島原発事故への対策に追われる日々。

 この状況は、まだ何か月続くのか。

 その予想もできない状況でありながら、

 なぜか、心の中は静かです。

 それは、やはり、覚悟を定めたからでしょう。

 3月23日に行った講演

 「東日本大震災 いま、あなたに何ができるのか」

 この講演において、多くの方々に語った思いが、

 心の奥深くにあるからでしょう。

 いつの日か、我々は、語る。

 いつの日か、我々は、必ず、語る。

 その思いを、改めてもう一度

 メッセージ動画として、お届けします。

 http://www.youtube.com/watch?v=UO9wZZSJd0w

 何かを感じて頂ければ、幸いです。

 そして、多くの方々に、

 このメッセージを伝えて頂ければ、幸いです。

 いま、目の前にある大切な仕事。

 その仕事に全力を注ぐため、

 「風の便り」は、しばらく休ませて頂きます。

 有り難うございます。

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この前の号、3月25日号の「風の便り」には

******以下一部引用**********

 この大震災は

 起こるべくして起こった。

 その感覚が、あります。

 それは目の前にある、現実。

 混迷する政治

 低迷する経済

 共感を失った社会

 倫理を忘れた経営

 働き甲斐の無い労働

 浮薄な文化

 弛緩した精神

 実は、我々の誰もが、そのことを感じていた。

******引用終了******

このメルマガは不特定多数のかなり多くの人を対象としている。その中には、震災の犠牲者を身近に持つ方、被災地でまだ不自由を余儀なくされる人、原発の前線でたたかっている人、放射線の被害を受けている人、あるいは、そのような方を家族、親戚、友人として持つ読者がいることは十二分に考えられる。田坂さんの文中にある「週末も返上し、早朝から深夜まで福島原発事故への対策に追われる日々。」とあるが、週末返上、早朝から深夜まで苦闘しているのは、彼だけではないことは言うまでもない。

一体、田坂さんともあろう方が、どうしたのだろう?というのが率直な思いだ。「思索する教養人」が、なぜ、そうした方々への配慮、センシティビィティがここまで欠落してしまうのだろう。普段、あれだけ「心に沁みる」美しい文章を書かれているだけに、その落差が目立つ。個々の表現を差し引いても、文全体を読むと、「いざ鎌倉へ」と向かう武士(もののふ)の姿よりも、「私も登城の機会を得た」と自分の世界にむかっていると感じたのは私だけではなかった。本人にしかわからないことはあることは承知だが、我々はこの文面から判断せざるを得ない。

そんな疑問が残っていたところ、先月、やはり内閣官房参与で劇作家の平田オリザ氏がソウルでの講演会で、東京電力が4月に福島第一原発から低濃度の放射性物質を含む汚染水を放出したことについて「米政府からの強い要請で海に流れた」と述べた、という記事があった。直後に平田氏は、この発言を撤回し、枝野官房長官は「『不用意に誤った発言をして申し訳ない』という旨の連絡はいただいた」と語り、平田氏から謝罪があったことも明らかにした。

この1件でも、内閣官房参与という役職の自覚なき無責任発言と見るか、あまりに情報を出さない政府に「劇作家」ならではのわかりやすい「演技」により、政府にゆさぶりをかけたのか、とみるか、2通りの解釈がなりたつ。私は平田氏には直接お会いしていないが、会われた方からは「気骨があり、素晴らしい人」、「真摯なプロ」と聞いている。不用意だったのだろうか?劇作家のプロフェッショナリズムと意地をみせて政府に一矢むくいるという確信犯だったのだろうか?私の解釈は後者である。

さて、「英国王のスピーチ」はご覧になられただろうか?吃音障害のある英国王ジョージ六世が、スピーチ矯正のコーチから指導を受け、最後には第二次大戦を迎える英国民を鼓舞するスピーチを行う史実に基づいた映画で、第83回アカデミー賞作品賞を受賞している。

コミュニケーションは受け手が決める、という立場から述べると、多くの国民は管首相のリーダーシップには不満がかなりあるようだ。ましてや、辞任する、しないをめぐって「ペテン師」発言まで出るとなると、被災地の自治体を預かる責任者が憤慨するのも当然だろう。震災直後から、「管政権への批判は封印する」と発言してきた佐藤優氏の態度に共感している私だが、さすがに、今や呆れてしまっている。必要なのは、誰もが望んでいるように、政府が一丸となって復興にのぞみ、原発の問題にしっかりとりくむことだ。 

そこで、私の希望を込めたシナリオを最後に述べておく。平田オリザ氏の演出、田坂さんのスピーチライトで、首相の辞任発表を準備する。会見場所は福島原発オフサイトセンター。そうすると、マスコミも現場にいけるわけだ。パフォーマンス好きの首相ならば、放射能の防護服を着ながら、スピーチをする。横には文字通り、体をはってきた吉田所長にお願いして座ってもらう。(もっとも、吉田所長はそんなものにはつきあえない、と言われるだろうが)

 「国民の皆さん。震災復興、原発問題の対応における私のリーダーシップについて多くの疑問の声が出ました。しかしながら、私は当初から述べてきたように、この国難に首相として巡り合った者として、命懸けで自らの姿勢を証明したいと思います。辞任後も、この原発が安定状態になるまでにここに留まり、見届けたいと思います。言うだけではなく、まずこれから私自身が建屋に入り瓦礫の除去をお手伝いしますっ!」と。

パフォーマンスであっても、そこまでやってくれたら、多くの国民は涙し、拍手をおくるのでないだろうか。そして、なによりもこの国が「一丸」となることができるのではないだろうか。

前々回も書いたように、今、リーダーが試されている。そして、今までいいことを言ってきた人間ほど、その真価が問われているのだ。

2月前のメルマガの冒頭で引用した新渡戸稲造のことばと福沢諭吉のことばを紹介して終わる

信実と誠実となくしては、

礼儀は茶番であり芝居である。

        新渡戸稲造

   <信実=まじめでいつわりのないこと。正直 船川補足>

節を屈して政府に従うは甚だ宜しからず

節を屈して政府に従うか

力をもって政府に敵対するか

正理を守りて身を棄つるか、

この三箇条なり

        福沢諭吉

   <正理=正しい理。船川補足>