第60回 「学び」を阻む知的傲慢
前回、前々回と日本のオヤジ達に厳しいことを言ってきた。このメルマガをよーく読んで頂いている読者なら、私の辛口コメントがオヤジバッシングではなく、同世代の一人としてエールを送っていることはご理解いただけるだろう。今回も、「愛」を込めてクリティカルメッセージを送ろう。
今日、企業だけではなく、日本全体を覆う閉塞感と諦念感をつくった元凶の一つに、「自己都合による必要要件の矮小化」があると見ている。前々回、「日本の役員はなぜプレゼンテーションが下手なのか」の中で「プレゼンだけ出来ても、仕事が出来なければしょうがないじゃないですか」という言い訳を紹介した。ちょうど先月、ある企業で行った講演の中でもこのことにふれたところ、事務局の方が講演終了後、しみじみと「あのセリフ『自己都合による必要要件の矮小化』って沁みましたね。社内で使わせてもらいます!」と言ってくれた。「大いに使ってください。この数年間、学べない人、学ばない人の言い訳の中であまりにも頻繁に出てくるので、こちらも気になっていたんですよ。」と述べた。
恐らく、皆さんも職場で聞いたことがあるだろう。
「財務諸表なんかいくら読めたって、お客が取れなければ売上がたたないんだから」
「ロジカルシンキングなんか勉強しても、所詮、人は理屈では動かないんだから」
「企業理念だけ唱えたって、システムが動かなければ請求作業さえ出来ないんだから」
「研修ばかり企画しても、OJTが上手く行っていないんだから」
こうした発言が繰り返されている職場では、学びは起きない。発言者の「そんなことはいらない!」という隠れた前提が聞こえてくるし、さらにその背後には「今のままでどこが悪い!」という「居直り」ともとれる知的傲慢が垣間見えるからだ。本人のさらなる成長を阻むだけではなく、周りで新たな知識、スキル習得に励む人の足を引っ張ることにもなる。
言うまでもなく、財務の理解、ロジカルシンキングの実践、企業理念の浸透はどの企業にとっても重要であり、それらは、顧客の獲得、総合的な対人力の行使、システム整備と両立しえない問題ではない。私は以前から「思考力」系の人達と「対人力」系の人達の間にどうも深い溝があり、お互いに学ぼうとしない問題を指摘してきた。「人のご機嫌をとるようなことなんかにいくら気を使ってもシステム設計がちゃんと出来れば問題ないんじゃないんすかっー」と発言した人もいた。対人力を「ご機嫌とり」とまで矮小化した発言なのですごい!と思った。その状態では、対人力への学びどころか、関心も起きないのは当然だ。
知識社会の到来を誰よりも早く見抜いていたピーター・ドラッカーも「無知の元凶ともいうべき知的な傲慢を正すこと」の重要性を説き、専門以外の知識を軽視することを戒めている。ますは我々の誰もがその傲慢さを持っていることを自覚することからはじめよう。