第58回 日本の役員はなぜプレゼンテーションが下手なのか?
もちろん、例外はいる。ただし、それでもこう言わざるを得ない。読者の多くの方が同意してくれるだろう。是非、今回のMLは役員会、部長会で配布してもらいたい。そう、「役員はなぜプレゼンが下手なのか?」という原因を各企業の中で共有し、広めてほしい。そして、役員、本部長、部長と上の者ほど真剣にプレゼンテーションに取り組んでもらいたいからここまで言う。日本企業がこれ以上、プレゼン下手で損をしないために。
プレゼンテーション・スキルが企業研修のメニューとして普及してきたのは、やはり「多異変な時代」が日本で認識されはじめた10年前。カルロス・ゴーン氏が日産の変革を始めたころだ。それ以前はロジカルシンキングやファシリテータースキル同様、研修コンテンツにはあまりなかったのだ。つまり、厳しい就職戦線を経て会社に入ってきた20代社員、あるいは30代社員は今の40代、50代社員と比較するとプレゼンスキルを学んできている。もちろん、身についていない社員もいるだろうが。
しかし、それを考慮しても今の40代後半以上の世代は海外の同世代と比べるとあまりにも「プレゼン下手」が目立つ。こう言われて、「プレゼンだけ出来ても、仕事が出来なければしょうがないじゃないですか」と思わないでほしい。そして、役員に言わせないでほしい。それは、「自己都合による必要スキルの矮小化」の罠だ。誰も「プレゼンだけ」とは言っていない。むしろ、「プレゼンごとき、すぐに上手くなってやる」という気構えと基本さえ注意して場数を踏めば、誰でも上手くなる。話し方、立ち方、アイコンタクトの取り方、専門用語の使い方などの基本については、多くの本が既に触れているので、ここでは割愛しよう。
かわりに「プレゼン下手」の別の原因を提示したい。それは、プレゼンが面白くなくても席をたつことなく、声が聞こえなくても「聞こえません!」ということなく、また自分が若かったころの自慢話を聞かされてもガマンしてつきあってくれる聴衆がいた、という点だ。100人、200人の前で社長や役員が話していても、大きな会場の後ろの参加者が、「すみません、聞こえないんですが」と言う人は今も日本ではいない。しかし、海外では本当に聞こえなければ、Excuse me, we can't hear!と言っても決して総会屋だと思われることはない。つまり、「おとなしく聞いてくれる聞き手」の存在とそれに甘えてきたことなのだ。
もちろん、人の話を最後まで聞くことの重要性や遠慮と察しの日本的コミュニケーションスタイルを否定するのではない。また、「一を聞いて十を知る」という高コンテクストの日本語特性もある。言いたいのは、それに甘えて、プレゼンの基本をあまりにもないがしろにしてきたのではないだろうか?ということだ。高コンテクストのコミュニケーションは均質性の高い組織の中では成り立つが、多様性の高い環境ではものごとを明確に言わなければ伝わらない。
さらに、原稿の棒読み程度の内容ならばすぐに「メールで流せばすんだのに」と参加者に思われてしまうことも考えてほしい。プレゼンはライブだ。ライブの付加価値を出せなければ意味がない。そのためには、発話力、発信力、わかりやすいロジックのみならず構想力、洞察力、そして情熱、信念も必要なことは言うまでもない。そして、何よりも相手を常に観察しながら話すという基本姿勢だ。団塊の世代や50代の日本人が育ってきた時代背景とは大きく異なる経営環境と職場環境に我々がいることは言うまでもない。
よって、役員、本部長、部長諸兄、プレゼンを甘く見ないで、基本から徹底的に学び直してほしい。そうすれば、これまでの成長に貢献してきたあなたの経験が役立つことが、きっとあるだろう。