第52回 議論することの重みに向き合え!- 裁判員制度を「敢えて」支持する

「首都を東京から移すこと(遷都)に賛成か? 反対か?」

「死刑廃止に賛成か?反対か?」

「選挙の投票を義務化することに賛成か?反対か?」

賛否のわかれやすいこれらの問題について、参加者20名、全員のコンセンサスを形成する - 私が行っているファシリテーター育成セッションの中で行うエクササイズの一つだ。テーマはファシリテーターに事前に伝えない。いきなり見せてから25-30分間で賛成なのか、反対なのかを決めなければならない、というわけだ。もちろん、お題は他にも用意してある。

これはロールプレイではない。つまり、参加者は演技する必要いらない、リアルプレイである。意見を述べたければ、言えばいいし、言いたくなければ、言わなくてよい。実際、ファシリテーターの進め方にしびれをきらした参加者が「こんな進め方では、とても時間が足りなくなるぞっ!」と言ったこともあった。その同じ場面で、「それすら言う気力が萎えたので黙っていた」と正直に語ってくれた人もいた。このあたりはリアルプレイならではのリアクションのおもしろさがでるわけだ。

参加者とファシリテーターのやりとりだけではなく、参加者同士のやりとりもリアルプレイの良さがでる。つまり、お題について「強い意見を持っている人」と「それほど考えていない人」が混在している。知識量も異なる。当然、強い意見を持っている人は発言回数が増えていくが、お題の知識が少なくても積極的に質問する人もいる。つまり、主張、質問、感想と自然に入り混じってくる。ファシリテーターはそれを識別しながら、全体の議論の流れを見ながら、コンセンサスというアウトプットを出していかなければならない。

しかも、主張する人が必ずしも論点を明確にしてくれるとは限らない。それどころか、「論拠なき主張」をする人もいるし、主張に至るまでの脈絡、つまり「論脈なき主張」の人もいる。そして、「何を言いたいの?」が見えない「論点不明の発言者」もいる。

このエクササイズはこの数年、多くの企業で行ってきた。会議が終わってから行う、ふりかえりのセッションで参加者とファシリテーターを聞いてみると、同音異句に、限られた時間内にコンセンサスをとることがいかに難しいか、ということが聞かれる。特に、前に出てやってみたファシリテーターは、頭が真っ白になって議論が全く見えなくなることが珍しくない。よって、「創造以上に難しい」という感想が毎回聞かれている。

さて、裁判員制度がスタートしてから1か月。前回、「やましき沈黙」が願わくばおきないことを望むと書いた。そもそも、ディベートもダイアローグも含めて、議論の歴史が浅い日本で、裁判員制度がきちんと機能するのだろうか?と私は考えていた。まともな議論ができないで、「人を裁く」という重い判断ができるだろうか?さらに、その重さにたえることはできるだろうか?と疑念は続く。

しかし、発想を変えてみよう、と気づいた。そうだ!裁判員制度が導入されたことによって、「かみあう議論」、「効果的な議論」とは何かの認識が高まるかもしれない。「論拠なき主張」や「論脈なき主張」を聞きわけるロジカルリスニングがようやく理解されるかもしれない。そして、何よりも市民として、重い判断に関与することによって我々の責任意識や規範がめばえるかもしれない。

だから、私は「敢えて」裁判員制度を支持したい。

*船川氏による「ファシリテータースキル公開講座」は11月に開催されます。詳細はこちらをご参照ください。