第43回 日本人の課題:意思決定と説明責任
数年前の造語「多異変な時代」を再度ひっぱりだしてこのMLでも雑感を述べてから約一カ月、毎年恒例となった日本漢字能力検定協会が公募で選ぶ「今年の漢字」は「変」となった。年末に向けてますます「多異変な時代」の様相を示してきている。
さて、先日、映画「私は貝になりたい」を見た。ご存知の方も多いと思うがBC級戦犯の悲劇を扱った名作のリメーク作品だ。善良な一市民が兵士として召集され、上官の命令に従った行為が戦争犯罪として裁かれ、極刑になってしまう不条理を描いている。戦争の悲惨と矛盾について考えさせられてしまう。当時の原体験を持つ82歳の母を連れて見ていたので、こうした問題が身近に感じられた。
私が思わず身を乗り出したのは法廷のシーンだ。司令官、上官、下士官が、あいまいな表現を逆手にとって、捕虜殺害の責任をお互いになすりつけ、結局、主人公の兵士がその犠牲者になってしまう。しかも、法定では彼の主張や弁明は通訳を介在しているので、裁判官側には上手く伝わらない。見ながら、思わずスクリーンの中に乗り込んで、「ファシリテーション」をしたくなってしまった。職業病かもしれないが、それ程、フラストレーションを感じてしまった。
ふと、「デジャブ」ではないが、これは何かの時と同じ感覚であることに気がついた。意思決定の曖昧さと責任の不透明さ、それに業を煮やした米国サイドの反応・・・日本企業と欧米企業とのアライアンスで問題になるケースだ。今年の上海で扱った案件でも、米国企業、日本企業、そして中国企業の三社の間で問題となったのが日本企業の意思決定だった。
日本企業の集団合議制は高度成長期には上手く機能していた。しかし、世の中が「多異変な時代」になると、そうはいかない。今日の意思決定は、不確実性が高く、スピードが求められる状況下で、複雑な問題を扱わなければならない。稟議書に印鑑を押すだけというようなわけにはいかない。意思決定の早さが求められる一方で、長期的な視点とより広い視野が必要なのだ。さらにその意思決定を多様性の高い組織の中で、徹底するには明確な説明責任能力が問われる。
言うまでもなく、これだけ厳しい経営環境の中で多くの企業がタフな意思決定をしなければならない。歴史に学びながら、同じ過ちをすることなく、世の中の大きなうねりをしっかり見据えた意思決定を期待したい。