第38回 日野原重明先生から学ぶパーソナルコミットメント
2週間前、念願でもあった日野原重明先生の生講演を聞く機会があった。実はイギリスに私の姉がいるのだが、彼女が学生時代から行っていた教会が120周年記念行事として、日野原先生を招待したのだった。
日野原先生については、今さら言うまでもないだろう。聖路加病院の名誉院長、今年で97歳になられる現役の医者、「成人病」ではなく「生活習慣病」の名付け親、瑞宝章を受け、何よりも世界最速高齢化社会に向かう日本の、そして日本人のロールモデルである。
私は4年前、日野原先生が生活習慣病について書かれた本をヒントに、「アタマの生活習慣病」をいかに克服するかという本を講談社から書いた。強調したいメッセージはカラダもアタマも「才能より習慣」という点だ。習慣をかえるのは大変だけれど、誰でも、何歳からでも思い立ったその日から可能である、という日野原先生の言葉は我々に勇気を与えるだけではなく、行動を促すマインドセットになる。
さて、当日、世田谷は代沢にある聖三一教会の礼拝堂は文字通り人で埋め尽くされていた。午後2時の開始時間になると日野原先生は現れ、司会者の紹介のあと早速、講演に入った。何でも当日は11時に広島から戻られた直後だということであった。
これまでテレビでも日野原先生を見ていた私が、改めて感心したことがいくつかある。まず、職業柄、どうしてもこういったことに目がいってしまうのだが、日野原先生は80分間、立ったままで話をされていた。しかも会場には演台が会場の左前方にあったのだが、先生は演台には立たず、会場中央で参加者との間に文字通り壁を作らず語りはじめたのだった。しかも、120周年を迎えた同教会と先生との関連、つまりカスタマイズしたつかみを導入としたのだ。日野原先生ほど有名でない人でも、「えー、今日は●●でしたっけ?」と、冒頭からスピーカーの本気度を疑ってしまうようなことを言う事例を少なからず見てきた私としては大いに感心した。内容について、確かに著書の中で書かれていることが多かったが、ユーモアを交えて軽妙な語り口でオーディエンスの心をつかんで話されていた。以前、新聞で100歳のアポも入り、大体3年先まで埋まっていると読んだことがあった。
最近、パーソナルコミットメントということを考える。クライアント企業で担当者や部門長がかわると大きく方針がかわることがある。その結果、予定していたプログラムがキャンセルになることも珍しくない。一方、人が変わっても、ビジョンやミッション実現のために必要なものを受け継いでいく企業もある。コミットメントの違いだ。一方、私もヒトと組織のグローバル化対応というテーマは、パーソナルコミットメントとして17年間やってきたし、今後も続けていくであろう。
しかし、日野原先生を見ていて、私など、まだまだ半分にも到達していないことを再確認した。パーソナルコミットメントは実績と行動で示すものだ。