第20回 グローバルビジネスの原罪を自覚する映画2本
前回おすすめした「硫黄島からの手紙」は、ゴールデングローブ賞を受賞した。何人かの方から「見ました!」「きつかったけれど、すごくよかった」というメールも頂いた。
さて、今回も皆さんにぜひ紹介したい映画が2本ある。
一つはグローバル経済がもたらした、ヴィクトリア湖畔の荒廃を描いたドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」、もう一つは1920年代の独立戦争から内戦にいたるアイルランドを舞台にした「麦の穂をゆらす風」だ。どちらも心をゆさぶり、グローバル時代を生きる我々に大きな問題提起をする秀作だ。この2本を見て、「文明化とは何だろう?」「なぜそれぞれの立場ではよかれと思っていることが、全体として悲劇を生み出すのか?」という古くて新しいテーマについて考えさせられてしまった。
カンヌ映画祭、パルムドール受賞作「麦の穂をゆらす風」はドラマでもあるのでこれから見る人を考慮して、ドキュメンタリー「ダーウィンの悪夢」を中心に述べておこう。 1960年代にある科学者がタンザニア、ヴィクトリア湖に、ナイルパーチという肉食魚を放った。するとかつて、「ダーウィンの箱庭」と言われたほど豊かなヴィクトリア湖の生態系を変え、湖畔の人々の生活にも激変をもたらした。というのは、ナイルパーチは大型の白身魚で1日、500トン、行き先は欧州、日本にも空輸されている。この魚のおかげで加工工場は千人の雇用を生み出し、タンザニア政府は「先進国への輸出製品」を持つことができた。
ところが、自然と共に生活していた人々の暮らしは激変する。パイロットたちに身を売る女性たち、エイズが蔓延し、小さな村でも一月に十数名が亡くなると語る教会の牧師、梱包用の発泡スチロールを燃やしながらドラッグのかわりにするストリートキッズたち。そして、ナイルパーチを国外に運ぶ飛行機は来るときには武器も積んでくると語るパイロット……画面は余計なコメントなどは一切入れず、にこうした登場人物をとらえていく。
監督でありこの映画を企画したフーベルト・ザウパーは、「アフリカの悲惨」を「知らせたかった」わけではないと述べている。「知識として知っていることと、理解する、認識する、あるいは意識するということには大きな隔たりがある」と述べている。明確に認識してもらうためにドキュメンタリー映画を作ったのだ、と彼は語る。
彼の意図どおりというべきか、意識するとすぐに、これが魚だけの話ではなく、バナナ、エビ、そして、鉱物や他の天然資源でも同様の悪循環が存在することに思い至るだろう。それは産業化社会の大きなシステミックな問題であり、我々もそのシステムの当事者であることに気づかされる。システミックな問題は悪者探しをしても解決できない。システムそのものを捉えなければならないからだ。
「ダーウィンの悪夢」をめぐって是々非々の議論が行われている。打開策はまだ見えないが、はっきり言えることは、それはナイルパーチをボイコットすることでもなく、特定の多国籍企業や政府を糾弾することでもないということだ。グローバル化推進論者はグローバル化によって恩恵を受けている成功事例を列挙したくなる誘惑にかられるだろうが、それはグローバル化の負の側面をなくすことにはならないことを自覚すべきだろう。一方、グローバル化の全面否定をする人は、自らもグローバル経済の一部に組み込まれているという現実を自覚すべきだろう。
たしかに、この数年、持続的開発(Sustainable Development)ということばは企業の中でも急速に広まってきているし、環境問題も、南北問題にも考えている企業人は少なくないはずだ。同時多発テロが起きる2年前、99年のWTO会議での「反グローバル化」抗議デモ以来、グローバル化の負の側面に関する議論は日増しに強くなってきている。ヒト・モノ・カネ・そして情報が地球規模で動き回るというグローバル化は、この数百年という時間をかけて進んできたし、20世紀の後半からは、その加速力が早くなってきた。
しかし、そのうねりと、そのうねりにいかに対応するか、という議論がかなり混乱しているようだ。うねりは止められないが、その対応がこれまで経済的効率性の側面のみに語られてきた反動を、今我々は目にしている。「ダーウィンの悪夢」はそれを生々しく我々につきつける。
グローバルビジネスに関わる全ての人は、その負の側面、「グローバルビジネスの原罪」を自覚しながら、グローバル化への対応を考えていかなければならない。この映画を通してそのことだけは明確に理解できた。