第19回 「脳トレ」よりもすすめたい映画
2006年、ヒットしたものの一つに「脳トレ」がある。本はもちろん、ゲームやwebサイトまで、頭の体操から脳年齢の測定までさまざまな「脳トレもの」があるようだ。
思考の放棄や思考の依存という「アタマの生活習慣病」が存在することを提起し、思考力強化を唱えてきた私としては、「脳トレもの」がはやることは歓迎すべきことだ。思考を活性化する助けになるものであれば、知的付加価値が求められる時代のニーズのあらわれと見ることもできよう。
ただし、ちょっと気になることがある。これらの「脳トレもの」自体が「Knowing偏重、Thinking軽視」、「一問一答主義」というこれまでの教育制度の弊害をそのまま受け継いでいるものがあるからだ。知識はあるにこしたことはない。ただし、知っている、知らないということに拘泥するあまり、考えることを放棄してしまうのが問題なのだ。しかも、「たった一つの正解探し」という前提が、我々のメンタルブロックを一層強化してしまう。
現実の課題、問題に取り組むためには、「脳トレもの」ではカバーしえない知性が求められる。知力だけではなく、感性も求められる。なぜなら、現実の課題、問題は「一問一答」の世界とは対極にあるからだ。因果関係は極めて錯綜し、しかも理屈だけでは動かない「感情の動物」でもある人間がからんでいる。
その意味で、よくできた映画は、我々にこのような複雑な課題を提供したり、あるいは人間の持つ素晴らしい可能性を示すことによって、我々の知性のみならず感性を刺激してくれる。先ほど見てきた『硫黄島からの手紙』はそのような映画であった。ご存知の方も多いと思うが、『父親たちの星条旗』につづく、クリント・イーストウッドによる硫黄島での激戦を扱った二部作の日本側の物語だ。
これから見る方のためにストーリーについてはふれないが、戦争の不条理と矛盾、家族愛と祖国愛について考えされられる秀作である。どちらかが善でどちらかが悪という一昔前の戦争映画という当然異なる。
ついでに、もう一つ今月見た映画『敬愛なるベートーヴェン』もぜひおすすめしたい。こちらの方は「第九」の初演を控えたベートーヴェンと写譜師の女性との話だ。世代を超え、師弟関係を超え、二人が共鳴協創のステージに至る過程が見る者の心に迫る。こちらも大いに魂をゆさぶられた。
年末年始には、感性を刺激する映画を見るのもいいだろう。