第3回 「還暦を迎えた戦後」に思う
戦後60年に当たる今年、中国での反日運動、韓国との竹島問題を受けて日本の戦後についての様々な議論が高まる中、また八月十五日が過ぎた。テレビでは予想通り、日本の戦後処理についての問題提起や討論番組がなされたのは読者の皆さんにも周知のことだろう。
そこで、今回はこのテーマについて思うところを述べたい。
最初に戦争の原体験を私自身がどのように聞いてきたかを明かにしておこう。13年前に亡くなった父は、学徒動員世代だった。テレビで度々放映される神宮球場で行進した学生の一人であり、戦後直前は陸軍の偵察機に乗って離陸直前にグラマンの攻撃に会い、九死に一生を得た。その体験を良く聞かされた。母は終戦前、5月末の東京空襲で住んでいた家を焼け出されその後、四国に疎開し、そこで終戦を迎えている。あの時代を生きた世代が経験した戦争の悲惨さと理不尽さについては聞くことがあった。「はだしのゲン」を読んだときに、原爆の被爆体験を除けば、父や母から聞いていた光景が描かれていたことも記憶している。
さて、昨今の「靖国問題」「戦争責任」の議論を見たり、関連書物を読むと気になることがある。それは、「ラベリングによって相手の主張を封じ込める」、あるいは「極論を出して相手の論点を叩く」という詭弁、強弁があまりにも横行していることだ。つまり、「戦争責任を問うのは左翼」、「戦没者に敬意を払うのは右翼」あるいは「自虐的歴史観」、「軍国主義の復活」というかみあわない不毛の議論があまりにも多いのだ。これは国内だけではなく、国外でも起きている。日本と中国の間に見られる(証拠とされる写真は「つくりもの」なので)「南京の虐殺は全くなかった」という立場と「南京虐殺の犠牲者は40万人」(当時の人口を超える)ということをくりかえしていては、何も前に進まない。
昨年、日本能率協会主催のグローバルビジネスリーダー(GBL)コースで、戦後ドイツと欧州諸国の和解調停に貢献したコー円卓会議に行った。そこで、我々にセッションを行ってくれたノルウェーのヤンツさんが語ってくれたことばがあまりも印象的だった。「和解するためには、過去の出来事(incident)に対してまず共通の理解(common understanding)をもつこと」。
歴史認識はそれぞれの国が違って当然という人もいる。もちろん、戦後直後に国交が回復されていなかった日中間と欧州諸国との違いや「ナチスと比べてはならない」という意見も理解できる。しかし、それにしても60年間、過去の出来事の共通理解が出来ていないことをもう少し問題視してもいいのではないだろうか。「歴史を評価するには100年はかかる。故に今の段階ではいかんともしがたい」という論法も一理あるとは思うが、下手をすれば「問題の先送り」と思考停止を生むだろう。
日中間の問題について言えば、コンフリクトマネジメント(対立の処理)の下手な二国が、「コミュニケーションは受けてが決める」という原則を無視してかみ合わない議論を繰り返している側面も気になる。お互いに上手くフィードバックを伝えるという作業がなされていないのだ。
そんなことを考えながら、最近読んだ本で是非おすすめしたい本がある。「八月十五日の神話」(佐藤卓巳氏著、ちくま新書)だ。八月十五日が「終戦記念日」であることに何の疑いも持っていない方は私だけではないだろう。ところが、政府がポツダム宣言を受諾した(無条件ではなく条件付けで)のは八月十四日、降伏文書に調印したのは9月2日であり、八月十五日は例の玉音放送があった日だけであるのだ。しかも、玉音放送を聴いて、額ずいている代表的な写真が実は別の時間に撮影されているのだ。著者は、前述の「ラベリングによる詭弁」は使わずにひたすら、資料をもとに「過去の出来事」の検証をしている。以前から気になっていた「何故、敗戦ではなく終戦なのか?」という疑問もクリアにされた。その上で、戦前からの民族的伝統であるお盆の法要とも結びつく「八月十五日の戦没者の追悼」は継続しながらも「9月2日の降伏調印日」を持って「平和祈念の日」として不戦を誓うという著者の提案には、国内、国外双方に対して有効且つ現実的なものとして同意できる。
戦争の問題を語るには、自らの知識不足を痛感させられる。今後、必要なknowingを高めながらも、クリティカルにかつ建設的にこの問題も継続的に考えていきたい。