第32回 スマトラ沖地震、日本大使館の対応に見る「思考停止」の惨状
スマトラ沖地震の津波に巻き込まれ、濁流の中を泳ぎながら文字通り九死に一生を得た被災者の体験を聞く機会があった。助かった人は、財布、カード、パスポートも持たずに身一つで津波から逃れたわけだ。
さて、彼等、彼女たちが行ったのは現地の日本大使館。以下が大使館員とのやりとりだ。
被災者A:「パスポートの再発行をお願いしたいのですが。」
大使館員B:「再発行料が10,250ルピー(約10250円)かかります」(船川注:A氏は命からがら、着の身着のまま大使館に来たのである)
被災者A:「お金も置いてきたのですが」
大使館員B:「お金を貸ししますが……ただし手続きが面倒で……。時間がかかります。ご存知の通り役所ですから」
(こうして8時間以上経過。船川注:被災者たちの心身ともに疲労度は想像できるだろう)
大使館員B:「明るい兆しが見えてきました。お金を貸すことができそうです。今お金を借りますという書類を持ってくるから記入してください。ただし、上限は14,000ルピー(約14,000円)、こちらの誓約書を書いて下さい」
被災者A:「えっ!じゃあパスポートの再発行料払ったら、いくらも残りませんよね」
大使館員B:「すみません。そういう規定ですから、そちらで何とかして下さい」
被災者A:「電話で尋ねた時は6,000円くらいといわれましたが?」
大使館員B:「それは5年パスポートの話で10年パスポートは10,250円なんです。おたくがなくされたのは10年のパスポートですから」
被災者A:「えー。そんなの聞いていませんよ。そんなに高いなんて。5年でいいのですが」
大使館員B:「基本的に再発行はお持ちのパスポートと同じものになります。それ以外はちょっと無理なんですね」
被災者A:「でも、見ればわかるじゃないですか。われわれ、命からがら逃げ出して来たんですよ!」
大使館員B:「事情はわかります。でも規定は規定ですから。第一、われわれだけ特例を認めるわけにはいかないのですよ。他の大使館の手前、不公平になりますから」
被災者Aさんと同大使館(スリランカ日本大使館)に助けを求めた日本人とのやりとりはこの後も続いたそうだ。そして、スリランカのみならず、バンコクや他の国でも同じ体験をした被災者がいた。このような体験をした人が私の受講生の中に2名いた。
大使館員のマニュアル管理の徹底ぶりにはただ呆れてしまう。彼らの中にはアメリカやドイツの大使館に行けばよかったのに、と外国人から同情された人もいたぐらいだ。
しかも、このAさんはいくつかの大手新聞社に大使館の現状についての抗議のレポートを送ったのだが、あまりどこも興味を示さなかったそうだ。A氏は情報統制がされているのかもしれないと語った。確かに私も同様の話を聞いたのはラジオとJapan Timesぐらいであった。
以前、「思考の4大生活習慣病克服法」という本の中で、東京駅半径5キロ、霞ヶ関半径3キロが思考の放棄、依存、そして歪みと偏りという「アタマの4大成人病」が蔓延していると指摘したことがある。
それでも、この体験を聞いた時には、あまりの惨状に怒りを通り越して悲しくなってしまった。
大使館員の罪は、歴史的大惨事の被災者への対応をマニュアル通りに処理しようとしただけではない。着の身着のまま逃げて来た人間を目の前にし、打開策を考えない愚かさ、そして何よりも、人間としての知性、理性、まさに人間性を疑われてしまうだろう。
しかも、彼らの屁理屈の根底にあるのは「うちだけ特例を出したら、不公平になる」という「公平」「平等」を履き違えた「言い訳型思考放棄症」と「上からも特に指示がないので特別扱いはできない」という「官僚組織の事なかれ主義の負の連鎖」だ。
もちろん、世界にある日本大使館で当事者意識も気概も失わずにがんばっている人もいる。ボリビアの大使館に出向している知人某氏は現地で暴動が発生した時に、人命第一で、催涙弾が飛び交う中、ホテルを1軒1軒訪問して、日本人の観光客を探していたのだ。
外務省省員行動規範の中には、「国民全体の奉仕者という原点に立ち公務員としての自覚と責任を持って行動する」というのがある。「上が決めてくれないから、何もできない。仕方がない」と思った多くの職員と上記某氏の違いは、「自分の判断で正しいことをできるか、否か」である。
「正しいこと」の判断基準は行動規範、企業で言えば共有理念(shared-value)に則って考えれば明白だ。行動規範を掲げるのはたやすい。問題はこのような時に実践できるか否かだ。
人は、自分の中で否定したい部分を持つ人を見ると嫌悪感をもよおすと聞いたことがある。スマトラ沖地震の大使館員の「われわれもつらいけど、規則なんで仕方がないんです」と言い訳しながら正当化してしまう「事なかれ主義」は自分の中にも存在する。
しかし、ちょっと勇気を出して、当事者意識を発揮することは官僚組織の中にいても可能なのだ。「ことなかれ主義の負の連鎖」を断ち切ることは、われわれ自身の内なる第一歩から始まる。