第24回 橋田信介さんに学ぶ自己責任
今回は予定を変えてこのテーマについて触れたい。イラクで襲撃され死亡したジャーナリスト、橋田信介さんのことだ。
橋田さんをテレビで初めて見たのは、イラクの人質事件の際、フリージャーナリストとしてのコメントを述べていた時のことだ。このころ、解放された人質を巡って「自己責任」の議論が起きていた。
「危険なところへ、ノコノコ自分たちが出ていったのだから、自業自得」という3人の行動を否定する立場と「彼らはわれわれができないことをしているのだから、たたえるべき」という肯定意見がぶつかっていたころだ。そして、人質になった3人とその家族への中傷が始まった。
一方で彼らの行動を肯定するあまりにあるテレビキャスターは「危険な場所と知りながらという議論があるけれども、もはや危険と言えばハワイに行っても危険である」と詭弁を述べていたのだ。
つまり、個人の自由を前提にそれに伴う自己責任を問うという議論がいつの間にか、自主的なボランティア活動を全く評価しない立場と無条件に近い形で認める立場の極論に分かれていった時だった。これでは、当然話はかみ合わない。
テレビでコメントを求められた橋田さんは「私だって、若い時は随分無茶もしたのだから、彼らの取った行動を受け入れてやりたい」というような自由度を認める立場を示した。 同時に、「でも、自分が捕まった時に家内に、間違っても、政府に助けてくれとは頼むなよ、と言いましたよ」と自らの規範を示した。つまり、自由度を認めつつも、自己規範を求める立場だ。
自己責任というよりは、自己規範の有無を問うた方が論点が明確になるだろう。 残念ながら、橋田さんのこのコメントを受けたキャスターは前者の立場だけを取り上げて、自己規範はどこかに飛ん でしまった。思い出して欲しいのは、人質に取られた家族がさまざまな要求を表明し始めたからこそ、自己責任の議論が起き始めたのだ。
橋田さんが亡くなられて、妻、幸子さんは橋田さんのことばを実践されていることは読者もご存知だろう。
規範だけ厳しく、自由度がなければそれは軍隊型社会になる。自由だけ求めて規範がなければ「フリーター集団」だ。前者が戦前、後者が戦後の日本の姿とも言えよう。
自立は自律であり、それは自由度と規範の両方がなければならない。個人にとっても、組織、 そして社会にとっても大事な2つの軸である。2軸のバランスを欠いたことによる社会的な問題が続く今日、橋田さんのことばに改めてこのことを考えされられた。合掌。