第7回 「クリティカルな目」で世を見ると(その2)
「自己規範の欠如した、はきちがえられた自由」。それによる社会のほころびを前回指摘したところで、もう一件事例を見てみよう。
この秋、あるスーパーで話題になった偽装肉販売をめぐる対応のケースだ。ご存知の方もいると思うが、確認しておこう。
1年近くにわたり、国産と称して輸入肉を販売していた大手スーパーのある店舗は、購入代金を返還することを決定した。誠意ある対応を見せようというのは良かったが、レシートなしで自己申告だけでキャッシュを払うという形式をとった。
初日は11件で63万円を返金。ところが、2日目は293件で、1,225万円。翌、3日目はおよそ客らしからぬ若者が朝から殺到、1,244件で4,144万円を払い、対応に困ったスーパーは慌てて返金停止という措置をとるはめになった。
返金総額は実際に肉を売った金額の3.5倍、手痛いしっぺ返しをうけてしまったわけだ。
もともと、偽装販売をした企業の問題があるが、それにつけこむ浅ましい「偽装客」という姿がまさに「規範なき社会」を象徴していると言えよう。自己規範に期待できなければ、前回述べた「マナーからルールへ」という市民社会の後退現象も受け入れざるを得ないのかもしれない。
この事例のもう1つのレッスンは「自分たちのことを突き放して見る目」の重要性だ。確かに偽装販売をしたことに対する謝罪、補償は必要だが、スーパー側の読みの甘さは否めない。ネット社会では口コミで広まる早さは乗数的に加速される。東芝のビデオクレーム事件に代表されるように、何度か起きたネット上の中傷事件でもこの点は明らかである。そうした、過去のレッスンが全く活かされていない。
「正しい」と考えることをやるのは良いが、自分たちのやっていることを一歩離れて見る目を養うことは欠かせない。そうすれば、今回のような非常事態を避け、なおかつ補償を考えることはできたであろう(具体的には、キャッシュではなく現物および商品券などの支給や、偽装肉の販売額から返金額の上限設定など)。
「クリティカルな目」を、まずは自らに向けるクセが重要なのだ。