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バラエティプロデューサーが語る教養|新たな価値を見いだす鍵 日々、「教養する」ことで人やビジネスの可能性が広がっていく角田 陽一郎氏 バラエティプロデューサー/文化資源学研究者

知識を習得することに偏重しがちな教養の在り方に対し、「教養とは『生き方』や『働き方』につながるもの」だと説くのは、バラエティプロデューサー、文化資源学研究者の角田陽一郎氏だ。
教養を“一過性のブーム”で終わらせず、血肉化するためにはどうすればいいのか。
角田氏の経験・知見を交えながら、詳しく話を聞いた。

[取材・文]=田中 健一朗 [写真]=吉田 庄太郎

本来は「動詞」であり「教え養う」のが教養

ここ数年、書店には多くの「教養」とついたタイトルが並び、TVでも「教養」をテーマとした番組をよく目にするようになった。ある種の“教養ブーム”ともいえる状況のなかで、自身の教養の乏しさについて、不安を感じているビジネスパーソンは少なくないだろう。こうした事象について、バラエティプロデューサーで文化資源学研究者の角田陽一郎氏は次のように言及する。

「バラエティプロデューサーなので、比較的“ブーム”というものに対しては肯定的です。ところが、昨今のいわゆる“教養ブーム”というのは、残念ながら、『これを知っていなきゃいけない』とか、『知っているか、知らないか』の二択みたいな話になってしまっていることが少し気がかりです」

角田氏は2019年に東京大学大学院に社会人入学して、事業と並行して、学業にも打ち込んでいる。入学当初に受講した戸田山和久氏(当時名古屋大学大学院情報学研究科教授)の講義を受け、大きく感銘を受けた。

「ある一定の知識量を超えた人を『教養がある人』とよぶように、教養という言葉は現在、名詞として使われています。ところが、明治時代にさかのぼると『教養する』のように、教養という言葉は動詞として使われていたというのです。つまり、教養がある人、ない人という概念はそもそもの間違い。教養とは、日々『教え養っている』状態を表し、その人の『生き方』や『働き方』につながるものだと私は考えています」

また、“教養ブーム”は日本社会全体の教養の水準が下がっていることの裏返しなのではないかと角田氏は続ける。

「メディアは市場に合わせてコンテンツを作りますからね。ただ、私個人としては、だからこそ、市場や社会を育む必要性を感じています。そのきっかけとなり得るのもまた『教養』なのではないでしょうか。たとえば、教養があれば、物の価値を安い、高いではなく、『環境に良い』『フェアトレードである』という値段以外のところにも価値を見いだすことができる。教養を得ることは市場を育み、より良い社会をつくる一助となるのではないか、と考えているのです」

教養は広めることでも深まる

では、どのように教養を学べばいいのか。「専門性を高める」ことが教養だと思われがちだが、それだけではなくなりつつあると角田氏は言う。

「むしろ、広く、浅く、全体を360度見回すような教養が、これからは求められることになるでしょう。かつてTBSでプロデューサーとして勤務していたころ、私は自分自身の教養を“広くて水深5センチの池”と例えていました。専門家には及ばずとも、仕事で出会う様々な人と会話し、協働するためには広く、浅い知識が必要だった。これは昨今のビジネス環境を考えると、私たちのような番組制作者のみならず、ビジネスパーソン全体に必要なことだと言えるのではないでしょうか」

だからこそ、日々『教養する』ことを心掛けているという角田氏だが、一方でこのように広く浅く自分の専門外のことを知ることが、おのずと専門分野をより深めることにもつながると語る。

「たとえば商社で働いていて、鉄鉱石に詳しいとします。そこで宗教学を学んでみると、中近東の紛争と資源の関係が見えてくるなど、考え方が広がると思うんですよね。自身の専門分野にとらわれるのではなく、まったく異なる分野を学んでみる。教養は広めることでも深まるものだと考えています」

さらに角田氏は教養を「見立て」「窯変」の2つの観点からも説明する。

「あらゆるビジネスの発想にも共通しますが、自分の人生で得た様々な経験を基に、脳が受けた刺激であるインプットを新たなものに『見立て』て、アウトプットすることが大切です。さらに大切なのはその見立てを『窯変』させること。陶芸において火加減や釉の加減で陶磁器の色が変化するように、脳内で想定外の面白い変化を起こし、アウトプットをする際に新たな価値を付加できるかがポイントです。いかに『見立て』、『窯変』させるかを、私は常に意識しています」

ここでいう「見立て」とは「意味や要点はこうだろうと予測する」ことだ。しかし、ただ予測するだけでは面白みに欠ける。教養を広め、自分の経験に専門分野外からの情報を加えることで新しい発想やイノベーションにつながっていく(図1)。

多くの日本人が誤字・誤訳を知らない

普段、何気なく使っている言葉や知識にも、教養が表れる。たとえば、英語の誤訳や漢字の誤字などによって、私たちが物事を誤って認識していることもあると角田氏は指摘する。

「砂漠は元来、『沙漠』と表記していました。『砂』になったのは、1981年にできた常用漢字表から『沙』が外れたためです。砂(すな)という字が使われていることで、日本人は砂漠に対して、“ラクダが砂の上を歩く姿”をイメージしますが、世界全体を見ると、砂のある砂漠というのは、実は十数パーセントしかありません。日本人以外の人は、砂漠は“何もない、ほとんど使い物にならない土地”という認識を持っているのです。この日本人の認識違いは、地球環境問題を考えるうえでも、かなりマイナスに働くのではないでしょうか(図2)。


バーチャルリアリティ(Virtual Reality)についても同じことがいえます。日本では、『仮想現実』と訳されていますが、これも大きな間違い。Virtualとは本来、『実質的な』という意味で、『仮想』とは真逆の概念です。こうなってしまった理由は、仮想現実空間を作る際、エンジニアが実在する場所など、『そのものの本質』を考える際に使用されていた用語だったものが、誤用され、現在の名称になってしまったから。そのため、世界を見渡しても、多くの日本人がバーチャルリアリティの本質に気づいていない状態に陥ってしまったのです」

こうした、誤字や誤訳による認識のギャップを知り、正すことも教養が果たす大切な役割だといえるだろう。

※ 2010年に常用漢字として追加される。

「縁起」を知り、興味を喚起する

教養を広め、深めることが大切なのは理解できる。とはいえ、自身の専門分野以外のことを学ぶことを、人によってはためらったり、面倒に感じたりすることもあるだろう。どのように教養への興味を喚起すればよいのか。

ここで角田氏は「縁起」に目を向けてみてはどうかと提案する。

「たとえば、寺や神社ができた由緒は何なのか?このように物事の起こりを考えることが『縁起』です。

伊勢神宮を、ただ“パワースポット”として漠然と参拝するのと、『なぜ、“パワースポット”になったのか?』を考えるのとでは、対象への興味の度合いが異なるのは明らかです。知って、興味を持つだけで、途端にいろいろなものが見えてきます。このように『なぜ』を考える癖をつけることは、転がっている面白いネタに気づくうえでも大切なことであり、視点の多様化にもつながります」

著書のなかで角田氏は、教養を「歴史」「地理」「社会」「エンターテインメント」「文化」「人生」の6つに分けて説明している。これにはどのような意図があるのだろうか。

「実は、それぞれの教養をどう深めるかよりも、横断的に学んでいく方が良いと考えています。これは、前述した、“広くて水深5センチの池”にも通じる考えです。

実際、6つすべての教養を深めていると疲れますよね(笑)。疲れないことも、学びにおいては大事なことですから。このなかの興味を持てる1つを足掛かりにすればよいのです。

かの偉大な数学者の岡潔先生も、『数学を極めるためには、情緒が必要』と仰っています。論理と感情を天秤にかけた際、『教養が必要だ』という論理より、興味があるという感情を大事にした方がよいでしょう」

第一線の社員にこそ学びが必要

最後に、従業員に対し「教養を学んでほしい」と考えた際、企業はどのような支援が可能かについて、角田氏は次のように語った。

「まず、学びという面では、私自身、社会人入学をしてみてわかったことがあります。2019年に石井清純氏(駒澤大学仏教学部禅学科教授)の講義『日本の禅思想』という授業を受けました。とても興味深かったのは、『なぜ、禅が6世紀に日本に入ってきたのか』と『なぜ、スティーブ・ジョブズがiPhoneを禅の思想で作ったのか』という、2つの話を同列で展開されていたことです。

個人的にも大変面白いと思ったと同時に、番組制作スタッフ全員に受講してほしいという、かつてない強い思いが沸き上がってきたことを今でも覚えています。支援をする側もまずは自分自身が学んでみることが大事なのではないでしょうか。

そのうえで、たとえば大学院であれば、学んで得た単位が賃金や評価に変わる、税金が安くなるといった制度を企業や国が大胆に導入すれば、教養を高める機会はさらに広がるのではないかと考えています」

このまま、少子高齢化が進み、教育現場もシュリンクしてくると、研究開発も成立しなくなってくる。そのような側面からも、ビジネスパーソンが学べる教育のシステムを改めて検討することには意義があるに違いない。さらに角田氏は人事が教養を学ぶ意義についてこのように続ける。

「教養を身につけることで『社員の特性』や『長所』に対する見方も変わるのではないでしょうか。

人事評価のように、一定のものさしを決めなくてはいけないのは致し方ありませんが、それだけでは測れない、“個人の魅力”に気づくきっかけをもっと見つけられるかもしれません。

『この人は案外、営業に異動させた方が、能力が生かせるんじゃないか?』といったように、社員の配属などを考える際や、『査定が悪いけど必要な人』に対して、違う側面から光を当てるだけでも、可能性は広がっていくことでしょう」

教養を広げるときに大事なことは、先述した『なぜ』という発想だ。人事の視点にもそれを生かせば、欠点と思われがちな部分が実は長所であることに気づくかもしれない。そう思えたとき、評価のものさしも社員のパフォーマンスも変わっていく。

変化の激しい時代において、一人ひとりが「教養する」ことの大切さを角田氏は示唆してくれた。

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