J.H.倶楽部 情報・交流・相談の場を通じて、
HRMの未来をともに描く

× 閉じる

Recommended Archive過去記事ピックアップ

1月25日更新

編集部より

「VUCAの時代に対応すべく学びも変化を」――というのは皆さんもよく聞く話だと思います。では、その学びの基盤を司る「ヒトの脳」は、いま、どのような変化を迎えているのか。今回は、ヒトの発達を他の霊長類と比べて研究する「比較認知発達科学」の第一人者である明和政子教授の記事をピックアップ。「脳」という視点から私たちの学びを考えてみましょう。

特集1│Chapter1│
様々な分野から見る学び
①比較認知発達科学
教え、笑い、学ぶのはヒトだけ
ヒトの学びは、
他者からの承認や喜びの共有が土台

認知科学的にいえば、学びとは本来、環境に適応するスキルを身につけることだという。
だから、ヒトを含むあらゆる生物が、生きていくために学んでいる。その中で、ヒトは独自の学びを身につけた。
それは他者から積極的に与えられる教育を通した学びだ。
しかし今、ヒトならではの学びに変化が起こり始めている。

Profile
明和政子(みょうわ まさこ)氏
京都大学大学院 教育学研究科 教授

博士(教育学)。京都大学霊長類研究所研究員、京都大学大学院教育学研究科准教授を経て、現在教授。「比較認知発達科学」という新分野を先駆けて開拓した認知科学者。著書に『まねが育むヒトの心』(岩波ジュニア新書)など。

[取材・文]=竹林篤実

ヒト特有の学びのスタイル

ヒトの発達を他の霊長類と比べて研究する「比較認知発達科学」の第一人者である明和政子教授は、ヒト特有の学びの始まりをこう語る。

「ヒトの学びは生まれる前から始まっています。母親は、お腹の中にいる胎児に語りかけ、生まれてからは、ガラガラなどのおもちゃを赤ちゃんの手に持たせて遊ばせます。最初は母親が動きを教えるのです。そのうち赤ちゃんは、自分でガラガラを動かしたときの母親の笑顔に気づき、母親と一緒に行動すればほめられ、喜びにつながることを理解します。まず、親が子どもの学びの土台を与えることから始まるのです。このように、親子の間で共感しあいながら学ぶのはヒトだけです」

乳児は1歳ほどになると、目の前にいる人の行為をまねるようになる。これは観察した他者の行為を自分の行為と照合する脳のミラーニューロンの働きによる。相手の動きを見よう見まねで模倣するのは極めて効率的な学びである。

「チンパンジーの場合、他者の身体の動きはほとんど見ていません。操作されているモノに偏って注意を向けるので、他者の行為を忠実にまねる、いわゆる『サルまね』ができないのです。そのため硬い木の実を石で叩き割る道具使用も効率的に学べず、習得に6~7年かかります。サルまねができるのは、実は霊長類の中でヒトだけです」(明和氏、以下同)

ヒトの赤ちゃんは、まねできるとご褒美をもらえる。ご褒美とは、親や周囲から向けられる優しい笑顔である。笑顔によって引き起こされるポジティブ・フィードバックは、ヒトの根源的な欲求を満たし、学びの強力なモチベーションとなるという。

ヒトは他者の心を推論できる

「まねを通じて相手の行為を学び始めるヒトの子どもは、次に『メンタライジング』を身につけます。メンタライジングとは、目には見えない他者の心の状態を自分のそれと区別して推論、解釈する認知機能です。メンタライジングの獲得には、前頭前野の成熟が深く関わっています(図1)」

ミラーニューロンにメンタライジングシステムという、より高次の脳の働きを獲得することで、ヒトは独自の学びを進化の過程で身につけた。

「メンタライジングは、主に2期の顕著な変化期を経て、長い時間をかけて獲得されます。最初の変化は3~5歳ごろで、ヒトは自分と他者の見えを区別してイメージできるようになります(図2)。

たとえば、子どもと相手の間に仕切りを設け、それを挟んで子どもの側にボールペンを置きます。もちろん、子どもからはペンが見えています。しかし、仕切りの向こう側にいる人にはペンが見えていないことを理解できるようになるのです。『視点変換』(図2)とよばれる能力の獲得です」

視点変換が獲得されると、ヒトはさらに複雑な能力を発達させていく。それは、目には見えない相手の“心の状態”を、自分のものと独立させてイメージ、推論する能力だ。

「他者の心を読んで推論し、気持ちを慮る能力は、とりわけ複雑なヒトの社会で生きていくために不可欠です。この能力が生存を左右したために、ヒトの前頭前野が飛躍的に発達したという説(マキャベリアン・インテリジェンス)もあります」

ヒトは未来をイメージできる

メンタライジングによって特徴づけられるヒトの脳は、思春期を迎えて再び大きく変化する。その引き金となるのが、第二次性徴期に入って高まる性ホルモンだ。性ホルモンが分泌されると大脳皮質の奥の「辺縁系」とよばれる部分が活性化する(図1)。辺縁系は、喜怒哀楽といった感情を自動的に湧き立たせる重要な機能をもつ。ただ、性ホルモンの分泌が高まる思春期には、辺縁系の活動が活性化されすぎる傾向にある。そのため子どもたちは感情を抑えられなくなり、思春期特有の感情爆発を起こすことが多い。ここで重要になるのが、辺縁系の過剰な活動を抑える前頭前野の役割である。

「この時期にメンタライジングのもう1つの機能である、“推論により未来をイメージする能力”をヒトは身につけます。誰かと争って怒りの感情に火がついたとしても、今、ここで相手を殴ったらどうなるかを推論、イメージし、前頭前野を働かせて感情を抑えることができます。ただし、前頭前野が大人のレベルに達するのは25歳から30歳です。ヒトの脳の完成には、長い時間が必要なのです」

ヒトの学びで重要なのは、他者の心や未来のような、目の前に見えていない世界を頭の中で考えられるようになることなのである。

「未来思考は、目の前にないものをイメージし、表象化する活動であり、アートや言語の起源であるという説もあります。ヒトは、多くの情報をやりとりする複雑な社会環境のなかで生存してきました。そうした環境がヒトの脳を飛躍的に高度なものとし、言語が生まれたのかもしれません」

チンパンジーやゴリラなどの大型類人猿も集団生活を送る。しかし、ヒトは生活空間を共有する仲間数が圧倒的に多く、時と場に応じて相手に柔軟に対応する思考が必要だった。

「人類学者ロビン・ダンバーの説によれば、前頭前野の厚みと生活集団の仲間数との間には相関関係があるといいます。名前と顔が一致するレベルでヒトが接する相手はおよそ150人ほど。チンパンジーはもっと少ない。その数が多いほど、脳の前頭前野が発達しているというデータがあります」

モチベーションとオキシトシン

ヒトは複雑な社会の中で生きていくために前頭前野を発達させ、「社会で生き抜くための学び」を身につけてきた。その中には、先述の、周囲から笑顔でほめられることで、学びのモチベーションが高まるという特徴も含まれる。

ほめられるとホルモンの一種であるオキシトシンが高まる。オキシトシンは幸せホルモンや愛情ホルモンなどとも呼ばれ、相手への信頼関係や愛おしさが高まる。学ぶ側も学ばせる側も、「ほめる―ほめられる」関係のなかでオキシトシンを高めあい、さらに学びのモチベーションを高めあう。このループも、ヒトの学びに特徴的に働くメカニズムだ。

学齢期に学校という新たな社会に入ると、家庭を超えた広い世界とのつながりができる。その段階では、自分が尊敬する人にほめられることが自己肯定感と学びのモチベーションとなり、さらに学びの世界を広げていく。

成育環境の変化が脳に与える影響

幼少期の環境がヒトの学びの土台を育むなら、成育環境の変化が、学びや脳に影響を与えるのではないか。

「まさにそれが今、重要な関心事となっています。特に幼少期の経験は、脳と心のその後の発達に大きな影響を与えるのですが、従来にはなかった成育環境の変化が起きているからです」

脳は右肩上がりに発達するのではなく、「感受性期」とよばれる特別な時期に顕著に変化する。脳の神経細胞をつなぐネットワークのうち、環境内であまり使われなかったものは刈り込まれ、よく使われるネットワークは維持、強化される。それにより、脳はより効率的に素早く情報を処理できるようになる。

この刈り込みが急激に進む時期が「感受性期」なのだが、その時期は知覚野、聴覚野、体性感覚野、前頭前野などでそれぞれ異なる。たとえば体性感覚野で刈り込みが起こるのは7歳から9歳ぐらいまで。オリンピックに出るような選手の多くは、その時期までに特別なトレーニングを受けているという。

そして、前頭前野の最大の変化は、前述の通り、思春期に起こる。

「ヒトの環境は、この約20〜30年ぐらいで劇的に変わりました。20万年というヒトの歴史の中でも、かつてないレベルの変化です。たとえば、対人関係が本質的に変わってきています。生身のヒトが顔と顔をつき合わせて築く社会関係は、今、SNS などの仮想世界における関係構築へとシフトする傾向にあります。実世界と仮想世界が混じりあう環境のなかで育つ子どもたちの脳と心は、今後どのように変化するのでしょうか」

人類史上かつてないほどの成育環境の変化が、ヒトの脳と心の発達に与える影響を調べる研究は、アメリカで今年(2018年)からようやく始まったばかりだ。

「全米19カ所、約1万人の子どもたちを9歳から20歳まで2年に一度追跡調査し、脳のスキャニングや遺伝子、精神発達などを調べ、養育環境との関連を見る大規模研究です。結果が出るまでに20年ほどかかります。その間に取り返しのつかない変化が人類に起こるリスクも否定できません」

若い世代の脳は変化している

普段接している学生たちを見ていても、変化の兆しは明らかに出ていると明和教授は語る。子どもたちの情報環境を決定的に変えたのは、スマートフォンだ。iPhoneの日本での発売は2008年。この頃に思春期を迎えてスマホを使い始めた子どもたちが、今20代半ばに差しかかる。

「ヒトの脳と心の研究には、長い時間が必要なため、現時点で確定的なことは言えません。ただ、危機感を覚える場面には多く遭遇しています。

たとえば、辺縁系が過活性になる思春期に、仮想空間に逃げ込む選択肢が与えられると何が起こるのか。思春期は、実世界で様々な人と向きあい、悩みながら相手の心を読む経験を重ねていく、前頭前野を成熟させるためのトレーニング期間です。しかし、そうした経験を十分に経ず、仮想世界で自分の心だけに固執し閉じこもることのリスクは、いわゆる“ゲーム脳”と呼ばれる中毒症状を示す子どもたちの急激な増加にも現れていると思います」

生育環境が劇的に変化し始めた時期に、脳の感受性期を経て成長した子どもたちが、社会に出始めている。学びのスタイルは今後、従来とは大きく変わっていくだろう。

新しい学びの方向性とは

脳の情報処理パターンやホルモンの分泌には個人差がある。自閉的傾向をもつ人は、ほめられてもオキシトシンが分泌されにくい。また、そもそも他者と面と向きあうことが苦手な人たちも増えている。そうした人たちにとっては、承認などの社会的報酬とは異なった報酬のほうが学びのモチベーションを高める可能性がある。

「極めて優秀で仕事はできるけれども、サイコパス(反社会性パーソナリティ障害)や失感情症(アレキサイミア)傾向が強く、社会関係を苦手とする方も多くいます。相手の心を推論して振る舞うのが苦手ですが、それが必ずしも悪いとは限りません。リスクを恐れず挑戦し、独自の世界を開拓することに邁進する、そうしたカリスマ性をもった人物であることも多いようです。スティーブ・ジョブズはその典型ですね。逆に、人が嫌がることを察する関係性重視タイプの人は、大胆な行動に出ることをためらいますから」

脳の情報処理パターンには多様性があり、みんなが同じやり方で社会で生きるための学びを身につけなければならないという従来の発想は転換の時期を迎えている。脳の感受性期を生かした学びの環境を提供することも重要だ。辺縁系が過活性となりやすい思春期の若者は、恐れることなく感情の赴くままにチャレンジできる可能性を秘めている。感情爆発は記憶の中枢である海馬に影響し、記憶力、つまり学習能力を高めることもわかっている。

必要なのは、多様性を重視した生涯型の学びのシステムを構築することだろう。

Learning Design 2018年11月刊