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08月20日更新

編集部より

Withコロナ時代を生き抜くために、私たちの働き方・生き方は転換を強いられています。「好機」と呼ぶには切迫しすぎた事態の中で、難局を切り開くために、何をどのように考えていくべきか。『人材教育』2010年11月号「Special Interview」では、今年7月にお亡くなりになった、お茶の水女子大学名誉教授であり『思考の整理学』の著者でもある外山滋比古氏に、「考える力」についてお聞きしました。「国の存亡への示唆」から「日常の問題解決」まで、私たちが困難に立ち向かうための思考のヒントが散りばめられています。外山氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

Special Interview
「考える力」の低下は、
国の存亡に関わる

「考える」という言葉は頻繁に使われるが、その正体は何か?
物質と情報が豊富な現代人は、ほとんど考えていないという外山氏に、考えることの本質、そして、どうしたら考える力を伸ばすことができるかを聞いた。

外山 滋比古(とやま・しげひこ)氏
英文学者/エッセイスト
英文学者、エッセイスト。1923年、愛知県生まれ。東京文理科大学英文科卒業。『英語青年』編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭を執る。お茶の水女子大学名誉教授。ベストセラー『思考の整理学』(筑摩書房)など著書多数。
取材・文/木村 美幸、写真/真嶋 和隆

誰もが「考える」という言葉を気軽に使っているが、その正体について深く考えている人はあまりいないし、学校でも考える力を育てる教育は、ほとんど行われていない。学習の対象は、社会において役立つとされている「読み・書き・算術」であり、その知識を覚えることが何よりも奨励される。テストでは「どのくらい覚えているか」がチェックされ、よく覚えていれば頭がいいという評価になる。記憶中心である。

考えることが軽んじられる理由

ではなぜ「考えること」が軽んじられているのか?本来、考える力というのは「難局に直面した」「越えられない壁がある」「解決すべき問題が起きた」といった危機的状況に立たされた時、そこから脱出するために発揮する力である。つまり、平穏な毎日を送っている限り、ほとんど必要とされないのだ。

現代社会は物質的に非常に恵まれているので、昔の人のように真剣にものを考えたり、努力したりすることが少なくなっている。必要がないのだから当然のことだ。必死にならなくても、特に不自由なく生きていけるという状況は、社会的にみれば進歩であろうが、個人の発達や成長という意味では後退であり、人間力の低下につながる。もし人間力の低下が集団的に起こると、その民族は滅びる可能性すらある。かつて繁栄したいくつもの大帝国が滅亡したのは、暮らしやすい環境になって自活する力が低下し、他国との競争に負けたのが原因だ。今後の日本だって、そうならないという保証はない。

ただ幸いなことに、ここ10年ほど日本社会は行き詰まっており、ことに近年の経済不況で、この国の環境はかなり逆境に近くなっている。日本人にとって、今こそ考えるチャンスだといえるだろう。

2つの思考具体的思考と創造的思考

先に述べた通り、本格的な思考は「大きな困難」の存在が前提になっているが、日常生活の中で起こるちょっとした問題に対処するための思考もある。「プラクティカル・シンキング」「具体的思考」などと呼ばれるもので、ビジネスの現場で求められるのは主として3つある。

1つめは業務に関する「工夫」。よく上司が部下に使う「考えて仕事をしろ」というセリフは、「人から教わるのではなく、自分自身でその仕事の進め方を工夫しなさい」ということを意味している。

2つめは「判断」。たとえば3つの選択肢を前にした時、単なる直感や好き嫌いではなく、明確な価値基準によって「これが一番いい。これが最も劣る」と判断する。これも思考の1つである。

そして最後が「人の心を読むこと」。「あの人は何を考えているのだろう」「顧客はどう感じているのか」と想像するのもまた思考力だ。

プラクティカル・シンキングは、解決法や結論を得ようとして本能的に頭を働かせるもので、少なくとも企業人なら誰でも日常的にやっていることだが、その能力には大きな個人差がある。素晴らしい工夫ができ、的確な判断力を持ち、相手の気持ちやその場の空気が読める……。どこの職場でも、こういう人が優秀な人と評されているのではないだろうか。社会で能力を認められるには、知識量が多いことより、プラクティカルな思考による、優れた問題解決力を備えていることのほうが重要だ。

ここまでは、身近で即物的な思考について述べてきたが、実はその先に、世の中に存在しないものを頭の中で生み出す「創造的思考」あるいは「純粋思考」と呼ばれる思考がある。プラクティカルな思考が“X”を解くものであるのに対し、“X”そのものを考え出すのが純粋思考。わかりやすい例でいえば、発明や発見は純粋思考に当たる。純粋思考の場合、必ずしも逆境や困難は必要なく、普通の生活の中で、ある時どこからか、インスピレーションがふわーっと舞い降りるように表われる。中には偶然の産物としての発明・発見もあるだろうが、自らの思考力によって必然的に新しいことが考え出せるようになれば、その人は純粋思考のできる人間である。

デカルトの「我考える、ゆえに我あり」という言葉も“自分の力で純粋思考ができた”という喜びの表れだ。昔も今も“我考える、ゆえに我あり”という人は極めて稀で、大部分の人は“我知る、ゆえに我あり”もしくは“我働く、ゆえに我あり”という言葉がふさわしい。

知識に頼り過ぎると思考力は育たない

世の中は、相変わらず知識偏重の傾向にあり、「知識の量がある=有用な人材」と考える。入社試験では「考える力」などほとんど試していない。多くの知識を蓄えていることは、確かに1つの能力ではあるが、難しい状況に置かれた時、その危機をうまく乗り越える力は、知識の量とはまったく関係がない。だからこそ“学校の成績は素晴らしかったのに、イザという時にはまったく役に立たない”ということが起こるのだ。

さらにいえば、人間は知識が増え続けると、それと反比例するように徐々に思考力が落ちる、というのが私の持論だ。知識を駆使しても、わからないものはわからない。にもかかわらず、知識のある人は知識でわかったふりをしてしまう。そうして、知識で大抵のことが処理できてしまえば、「考える」なんて面倒なことをしなくて済むからだ。逆にあまり知識のない人は、新たな問題と出会った時に「一体どうしたらいいだろう?」と自分で考えざるを得ない。いくら考えても、答えは出ないかもしれない。それでも、とにかく自分の頭でなんとか解決しようと努力する。

思考力の発達を望むなら、まずは人の真似をやめることだ。誰でも問題解決には、いろんな人の意見を聞いたり、知識を借りてきたりしたくなるのが当たり前。しかしそれでは結局のところ、それらの知識の中に取り込まれてしまう。無手勝流で問題にぶつかっていき、悪戦苦闘してその対象をとらえる。それが思考というものだ。

しかし実際には、知識だけでは絶対に太刀打ちできないような大問題はそうは起こらず、知識をうまく利用すれば、あたかも解決したように処理できることがほとんどだ。つまり思考力を磨こうと思ったら、自ら意識的に機会をつくるしかない。

“わかりやすさ”は考えるチャンスを奪う

思考力を鍛えるための具体策の一例として、「思考力を高める読書」について取り上げよう。

本を読むと、ある種の知識や情報が増えるというメリットがあることはいうまでもない。しかし「あぁ、そうか」「なるほど」と感心しながら読んでいる間、実はその人はほとんど考えていない。本を読んで理解するという作業は、その多くが記憶力によるもので、思考力はほとんど関係ないからだ。特に、面白い本、わかりやすい本、役に立つ本は、内容にひっぱられ、受け身の読書になってしまうので、思考力の訓練にはならない。

思考力のトレーニングにふさわしいのは、難解極まりない本だ。わからないところが出てくるたびに、読み手はその部分を自分で勝手に解釈するしかない。この解釈という行為が、思考力を働かせることになる。

ご存知の通り、戦前の日本では、5~6歳の子どもに『論語』や『孟子』を暗唱させていた。大人にも難しい高度な古典を与えるなんて、読みの教育という観点からすれば、何とも無茶な話である。当然、難しくてどの子も内容はわからない。しかし、わからないものを前にした時、人間には、好奇心が芽生える。そこから、「知りたい」、「わかりたい」という意欲が生まれるのだ。幼児期に読まされた『論語』や『孟子』をきっかけに、ものを考えることができるようになった人は、昔の漢文を学んだ人の中にたくさんいたはずだ。

翻って今の世の中を眺めると、情報が増えて、何もかもがわかりやすくなっている。学校でも非常にわかりやすいことを、わかりやすく教えようとしている。わかりやすさは、考えるチャンスやモチベーションを奪う、ということに気づいていない。

ビジネスパーソンが、日常的に思考力を磨き、純粋思考にまで近づきたいなら、定年後の人生について考えることを勧める。

寿命が短く、1日でも長く生きることが手柄だった時代と違い、現代は長生きが必ずしもプラスではない。100歳近くなって、明日を楽しみに、生き甲斐を持って生きられる人間になるのは簡単ではない。「最後まで“明日のために生きる”という熱意を持ちうる生き方ができるのか?」「長生きと幸福な人生は両立可能か?」「少しは立派な人間になれた、という充実感もって命を全うするために今からすべきことは?」――考えることはいくらでもある。

最後に繰り返しになるが、社会全体にとっても、1人ひとりの個人にとっても、日本が曲がり角にきている今は、じっくり考えるための絶好の機会である。人や企業の歴史を俯瞰すると、挫折を経て大きく成長したケースがたくさんある。なぜなら、考える力には「前進力」があり、思考は人間を変えることができるからだ。他方、知識はあくまでも便利な道具に過ぎず、人間を変えることはできない。

月刊 人材教育 2010年11月号