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特集1│OPINION1
日本企業は
“技術信仰”から抜け出せ
デザイン軽視の風潮が衰退を招く
企業の競争力を高める
デザイン経営の実践

かつて日本は、圧倒的な技術力で「良いものを安く」生み出し、世界を席巻した。
だがその成功体験にとらわれ、「デザイン」という観点が軽視されてきたことがいまの日本企業の疲弊を招いていると一橋大学の鷲田祐一教授は話す。
生産性向上の切り札となるデザインの力とは。
またデザイン経営とは何を意味するのか、話を聞いた。

鷲田祐一(わしだ ゆういち)氏 
一橋大学 大学院経営管理研究科 教授

1991年一橋大学商学部経営学科卒業後、博報堂に入社し、マーケティングプラナーに。
その後、同社生活研究所、研究開発局、イノベーション・ラボで消費者研究、技術普及研究に従事。
2003~2004年にマサチューセッツ工科大学メディア比較学科に研究留学。
2008年に東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士後期課程を修了し、博士(学術)。
2010年より一橋大学商学部、同大学院商学研究科で教鞭をとり、2015年より現職。
著書に『イノベーションの誤解』(日本経済新聞出版社)、『デザインがイノベーションを伝える』(有斐閣)など多数。

[取材・文]=平林謙治

忘れられた経営の神様の“予言”

「これからはデザインだ」――米国視察出張から帰国したパナソニック創業者の松下幸之助氏が、羽田空港での第一声でこう語ったのは、高度経済成長“前夜”の1951年のことである。経営の神様が、時代の先の先を見越して鳴らした、日本のモノづくりへの警鐘だったのだろうか。

はたして、それは的中する。

往時の日本製品は安く、その割に壊れないことを競争力の源泉としていたが、1985年のプラザ合意を経てバブル景気を迎えるころには円の競争優位は失われ、安価と品質だけでは戦えなくなっていった。

いまや周知の「イノベーション」という言葉が、その必要性とともに叫ばれ始めたのもこの時期である。しかし、日本のモノづくりにおける「イノベーション」の意味は世界のそれと大きくズレてしまった。いわゆるガラパゴス化の隘路へと陥ったまま、いまだ競争力を回復できずにいる所以であり、その変質と凋落の過程で見失われていった要素こそが、ほかでもない、かつて松下幸之助氏が看破した「デザイン」なのだ。

わが国では、経済や産業の文脈でイノベーションを論じるとき、大抵「技術革新」と訳される。その技術革新とは、研究・開発によって新しい技術を生むこと、つまり発明とほぼ同義といっていい。しかし、イノベーションの本質は、発明そのものではなく、新技術を実用化した結果として、人々のくらしや社会の在り様が劇的に変わることであるはずだ。

イノベーションは、新技術だけで起こせるものではない。それを利用する生活者の視点で社会のニーズを洞察し、新しい価値に結びつける。そしてその新しい価値がユーザーの実感により良く伝わるよう、製品やサービスを通じて表現する。まさに「デザイン」という営みが介在してはじめて、発明はイノベーションへと昇華するのである(図1)。

実際、デザイナーとよばれる人材は観察の達人で、潜在的なニーズを見極め、カタチにするのがうまい。にもかかわらず、日本企業ではこれまで、彼らがイノベーションを主導することはごくまれだった。社内のデザイナーがアイデアを出しても、同様の提案が社内のエンジニアから出てくる場合より明らかに、採用に消極的だったのだ。経営層を中心に、長くデザイン軽視の風潮がはびこってきたからである。

日本企業のデザイン軽視の背景

私が国内のデザイナーを対象に実施した調査では、デザイナーが提案したイノベーションのアイデアが経営者に却下される理由の1位は、2位以下に大差をつけて「コストがかかりすぎると判断された」である。「デザインはコスト削減の対象」と、安易に決めつけがちな経営者心理が透けて見える結果となった。つまるところ、新商品開発で厳しいコスト削減を迫られたら、「新機能の実装を1つあきらめる」や「販売促進経費を削減する」といった選択肢よりも、「より良いデザインを実現するための工程を1つあきらめる」方が選ばれやすいということだろう。

先述のように、日本のモノづくり産業は高度経済成長時代に、従来の「安かろう悪かろう」を「安かろう良かろう」へと進化させることで世界市場を席巻した。躍進の要因に技術革新があったことは論をまたない。しかし、日本企業はその成功体験にとらわれすぎたのではないか。イノベーションが技術革新と翻訳されてきたこと自体、“技術信仰”とでもいうべき偏った価値観に企業や社会全体が凝り固まってしまった表れ、と筆者には映る。

企業の競争力を高めるためには、優れた技術者の確保・育成こそが重要と信じられ、エンジニア人材が重用されてきた。現に、技術畑から経営トップへ昇り詰めた例は数多い。一方、デザイナーは組織内で劣位に置かれやすく、取締役以上まで昇進する人材もごく限られていた。

そんな技術偏重の歴史が、日本の多くの企業経営者に「良いものさえ作れば売れる」と過信させ、デザインは重要な経営資源であるという認識を見失わせていったと、私は推測する。彼らに、デザインの良し悪しを理解する能力はおろか、わかろうとする意欲や関心さえ備わっていないのも当然だろう。

さらに、企業が安易にデザインをコスト削減の対象と見る理由としてもう1つ、デザインの経済的効果が数値化しにくいという問題もある。

日本ではそもそも、官公庁や地方自治体などの公会計の書類に「デザイン費」なる費目自体が存在しない。成果物がデザインされたものか否か客観的に判断できないから、というのが理由だといわれるが、公会計がこの状態では、民間企業においてもデザインへの投資効果を真剣に検討しようという空気は生まれにくいのではないか。むしろ「色や形にお金をかけても、消費者はわからないし、喜ばない」などとうそぶく経営者も少なくないのが実情のようだ。

とんでもない話だろう。日本人は本来美意識が高く、消費者としてはデザインにも敏感だ。日本の産業やモノづくりにデザインという要素が十分に活用されてこなかったからといって、それは決して「消費者がわからない」せいではない。問題はあくまで供給側にあり、技術信仰と表裏一体をなす日本企業のデザイン軽視の風潮に起因しているのだと、強調しておきたい。

「デザイン経営」で利益が4倍に

次の年には新興国に追いつかれるような、細かな技術の差別化をいったいいつまで続けようというのか。「テクノロジーの追究をあきらめたら日本は終わり」的な意見は依然根強いが、人口・労働力の減少局面に突入したこの国が、50年後も100年後も「技術立国」の金看板を掲げていられるとは思えない。

そうした危機意識から提唱されたのが「デザイン経営」である。経済産業省と特許庁は2018年5月に、「産業競争力とデザインを考える研究会」の報告書として、「『デザイン経営』宣言」を公表した。以来、このキーワードが大きな注目を集めている。

「デザイン経営」とは、デザインを重要な経営資源として活用する経営であり、同宣言ではこれを実現するために、デザイン分野の人材が狭義の職能・職域を超えて、企業経営の中枢の意思決定に参画する経営スタイルを提起している。

早い話が「デザイナーを経営陣に入れましょう」ということだ。なぜそんなことをするのか、従来の日本企業の経営観からすると荒唐無稽に感じられるかもしれない。しかし、米アップルや英ダイソンが経営の中枢にデザイナーを据え、デザインの力でイノベーティブな成功を収めていったことは周知の事実だろう。

日本企業でも、レクサスインターナショナル元社長の福市得雄氏やマツダの前田育男常務執行役員など、経営中枢で活躍するデザイナー出身者が少しずつだが、現れている。また、良品計画は、経営のアドバイザリーボードに早くから外部デザイナーを起用し、無印良品を世界に通じるブランドに成長させた。

国内ではまだサンプル不足だが、欧米では、デザインへの投資を進める企業のパフォーマンスについても研究が進められていて、デザインに投資するとリターンはその4倍になるとの調査結果もある。

こうした先行事例に学び、従来のデザイン軽視の経営を改める企業や経営者が増えてくれば、日本の産業競争力の回復に資するのではないか。それが「デザイン経営」宣言の本質である。

デザイナーが最上流からかかわる

デザイナーを経営の中枢に据えるとは具体的にどういうことなのか。

図2 を見ていただきたい。米国ではマサチューセッツ工科大学のG.L. アーバン教授が、すでに80年代にこうした図を示して商品・サービス開発のプロセスを説いていた。

注目すべきは、プロセスの最上流工程に「デザイン過程」というものが置かれている点だ。これは、デザイナーが経営トップや他の経営陣と話し合い、最初に「顧客の視点からみたら、こういう製品を作るべきではないか」と提案していることを表している。つまり、新商品開発の最上流では「どんな技術があるか」「どれぐらいで売れるか」といった経営寄りの話よりも先に、利用者の視点に立ったデザインの話から始まるのだということである。

そして上流から下流へプロセスが進むと、図の中段あたりにもう1つ、「デザイン」という記述が出てくる。これが日本語でいうところの「意匠設計」だ。日本企業でも一般に行われている「商品の色や形を工夫し、決める行為」である。日本ではデザインという言葉の定義が狭く、この2つめのプロセスだけを指すことが多い。だから、実際にデザイナーがかかわる範囲も、この途中工程に限られてしまうのだ。

これではあまりにもったいない。デザイナーは、技術偏重による思い込みや旧来の制度に縛られにくく、絵やモノによるコミュニケーションにも優れているため、硬直化した企業経営の意思決定の場に、豊かな創造性を回復させることが期待できるからである。しかも日本企業は、優秀なインハウスデザイナー(正規雇用のデザイナー)を多く抱えているのだから、なおさらだ。彼らには、経営に関する経験や専門知識は乏しくても、企業全体を変革する原動力になる可能性がある。

もっとも、前述したデザイナーの意識調査からは、彼ら自身の問題も垣間見える。自分をどんなタイプのデザイナーだと認識しているのかを尋ねたところ、「仕事をこなすプロフェッショナルタイプ」と「細部の完成度にこだわる職人タイプ」との回答が1、2位を占めた。

デザイナーの多くは、寡黙な仕事人であると自覚しているようだが、批判的に見れば、事業全体をけん引する気概やリーダーシップに弱い面があるのは否めないだろう。「職人気質」「モノづくりへのこだわり」といえば、聞こえはいいが、それが結果として、彼ら自身を「色や形を決める」だけのポジションにとどめがちな現状も見て取れる。

「デザイン経営」の実践には、その中核を担うデザイナーの意識改革も欠かせないということだ。

Appleの外箱はなぜ美しいか

もちろん、育成すべきはデザイン人材だけではない。ユーザーの視点から、世の中でいま何がどのように求められているかを洞察する、広い意味でのデザインマインドは、エンジニア、セールス、マーケティングといった職能の枠や組織の階層をも超えて、社内のあらゆる人材に涵養されるべきである。

そして、そのためにこそ、経営の最上流からデザインが関与していかなければならない。事業戦略の構築においても、商品開発においても、トップ自身がデザインの力を認め、デザイナーの話に耳を傾ける姿勢を示せば、その意思は上から下まで、おのずとビジネスプロセスの各工程に伝わる。組織の隅々まで、デザイン重視の志向が浸透していくはずだ。

たとえば、よく知られるように、アップル社の製品は外箱まで美しいデザインをまとい、開封する前から利用者をワクワクさせる。国内メーカーのそれと比べれば、違いは一目瞭然だ。ここに、トップのデザインへの志が反映されているのは間違いない。箱の色や形に直接かかわるわけではないが、そもそもトップがデザインを「コスト削減の対象」と見る企業なら、開発過程の下流で、外箱にまでお金をかける余地は残されていなかっただろう。

せっかくモノを買うなら、誰しもワクワクしたいし、美しく格好いい方が好ましい。デザインは無駄なコストどころか、創造性を発揮して付加価値を高める、そんな生産性向上の切り札でもあるのだ。勇気をもって、日本企業にこそ「デザイン経営」に挑戦してもらいたい。

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