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~広める越境、深めるプロティアン~
最先端のキャリア開発を考える

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越境学習の第一人者である石山恒貴氏と、プロティアン・キャリアの伝道師・田中研之輔氏によるセミナー「最先端のキャリア開発を考える」を2021年9月27日に開催しました。
働く人のキャリア意識、価値観にさらに大きな変化するいま、組織が優秀な社員を惹きつけ続ける、また、働く個々人が自己実現を行いながら組織に属して働くには、従来のキャリア開発支援では不十分な点もあるでしょう。
そこで本セミナーでは両氏に最新のキャリア論の潮流を、ご自身の研究領域の成果も交えつつお話しいただきました。ここでは本講演の一部をレポートと動画で紹介します。議論が白熱したクロストークバトルもぜひご覧ください。

こんな方におすすめ

  • キャリア開発に関する最新潮流や具体策に関心を持つ方
  • 越境学習を自社の企画や施策に取り入れたい方
  • プロティアン・キャリアの企業の導入事例が知りたい方

登壇者プロフィール

石山恒貴(いしやまのぶたか)氏

法政大学大学院 政策創造研究科 教授

田中 研之輔(たなか けんのすけ)氏

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

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本セミナーの一部を公開中

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第1部

越境・複業が日常化する時代のキャリア開発
0:28:02

第2部

最先端のキャリア開発取組事例:プロティアン・キャリアドックの進捗
0:30:47

第3部

クロストークバトル・質疑応答
0:45:20

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第1部越境・複業が日常化する時代のキャリア開発

  • 石山恒貴氏
  • 法政大学大学院 政策創造研究科 教授

第2部最先端のキャリア開発取組事例:
プロティアン・キャリアドックの進捗

  • 田中 研之輔氏
  • 法政大学 キャリアデザイン学部 教授

第3部当日のQ&A(一部抜粋)への先生方のご回答

  • 石山恒貴氏/田中 研之輔氏

セミナーレポート

本セミナーをレポート形式にまとめております。

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Ⅰ.越境・複業が日常化する時代のキャリア開発

私が在籍する法政大学大学院政策創造研究科は、法政でも珍しく学部のない大学院です。学生は社会人や留学生の方を中心に、20代から70代まで幅広くおり、平日の夜や土曜日に授業をしています。学生たちにとっては、職場とは別のコミュニティである社会人大学院という場所にいることも、今日のテーマである越境学習の1つといえるでしょう。

まず、越境学習とは何か。そして経済産業省と共同で行った越境学習の効果測定のプログラムについてのお話をしたいと思います。

●これからは、生涯続く学びが求められる

越境が求められている環境認識から説明しますと、ITの技術革新が50年間連続して倍々ゲームで続いてきて、情報爆発への適応が難しくなっています。さらに地球温暖化による気候変動や今般のコロナ禍のような感染症も環境変化の1つと言われます。

そんななか、我々は変化に適応していけるのかいけないのか。トーマス・フリードマンの『遅刻してくれてありがとう』によれば、従来までは「読み(reading)」「書き(writing)」「そろばん(arithmetic)」と言われる3つのRが大事だと言われてきました。これらは、基本的には一度学んだら終わりですが、これからは4つのCの生涯学習が大事になると言われています。クリエイティビティ(creativity:創造性)、コラボレーション(collaboration:共同作業)、コミュニティ(community:共同体)、コーディング(coding)です。コーディングは、狭い意味ではプログラミングですが、広い意味としては、ZoomやSlackなどを使いこなすことも含めた、デジタルへの対応能力です。働き方がプロジェクト化していくなかで、いかに多様な人々と共同で、デジタルにも対応しながら、創造力を持って取り組めるかを問われているため、この4つのCにおける学びは、いったん学んだら終わりではなく、生涯続くものなのです。

また、テレワークの比率が高まり、働き方が変化するなかで、よく話題になるのが、上司から30分おきにサボっていないか確認の連絡が入るといった監視の強化です。テレワークだから自由になったのではなく、職場で働いているときよりも監視が強まることもあるのですが、本来は、関西大学の松下慶太教授が『ワークスタイル・アフターコロナ』で示すように、「いつでもどこでも自分が主体的に働ける」ことを目指してもいいはずです(図表1)。つまり、変化する環境のなかで組織も個人もいかに主体的に働けるかが問われているのが現状です。

この環境認識を踏まえたうえで、越境学習について改めて見ていきましょう。

図表1 スタイルの比較→Xは働きたいように働くこと
図表1 スタイルの比較→Xは働きたいように働くこと

●越境とは、ホームとアウェーを行ったり来たりすること

私は、2010年頃から越境学習の研究をしていますが、「越境学習」という言葉が(日本で)認識されるようになったのはつい最近のことです。10年ほど前に立教大学の中原淳先生がご著書の中で、組織の中から組織の外に行って学ぶことを「越境学習」と表したのがこの用語が知られるきっかけだったと思います。私は越境広く捉えていて、「自分の心の中のホームだと思う場所と、自分の心の中のアウェーだと思う場所を行ったり来たりすること」だと定義しています(図表2)

図表2 越境(ホームとアウェーの往還)
図表2 越境(ホームとアウェーの往還)

具体的に説明しますと、ホームとは、よく知っている人がいて社内用語が通じる。安心できるけれども、刺激がない場所です。これに対してアウェーは、見知らぬ人もいて、社内用語も通じず居心地が悪い。しかし、刺激がある場所です。このようなホームとアウェーを行ったり来たりして、常に刺激を受けている状態が越境学習をしている、ということです。

こういう話をすると「人事異動も越境学習ですよね」とよく言われます。確かに人事異動は、最初アウェーに行きますが、慣れてしまうとそこが第2のホームになっていきます。第1のホームから第2のホームへの一方通行の移行であり、ホームとアウェーを常に行ったり来たりすることには当たらないので、越境学習とは区分して考えています。

常に行ったり来たりする状態は、「パラレルキャリア」と言い換えることができます。パラレルキャリアと検索すると、副業・兼業とほぼ同義で使われていることもありますが、これも私は広く解釈しています。

組織研究で有名なイギリスのチャールズ・ハンディという学者が、「人生には4つのワークがある」と言っています(図表3)。ここで言う「ワーク」とは人生の役割のようなものです。

図表3 パラレルキャリア
図表3 パラレルキャリア

まずは、お金をもらう「有給ワーク」です。それだけではなく、家事、育児、介護などの「家庭ワーク」もあります。最近では、男性の育児休職の効果についての研究が注目されるようになりました。男性が育児休職を取って普段と違う経験をして、また本業の職場に戻ってくると、職場でも良い効果が表れるそうです。社会や地域に貢献する「ギフト地域ワーク」もありますし、私のいるような社会人大学院にだけ限らず、ちょっとした勉強会等を含めた学び直しや生涯学習を、「学習趣味ワーク」といいます。

つまり、越境学習とは、2つ以上のワークを持っている状態と言い換えることができるし、同時に2つ以上のワークをしているということがパラレルキャリアだと言えます。有給ワークを2つ行うと兼業・副業になり、これもパラレルキャリアであり越境学習といえますが、有給・無給に限定されることはなく、(図表3)のような4つのワークのなかで2つ以上のワークを持ち、行ったり来たりすることで刺激ある学びが得られます。要するに、“違ったものを常に感じる”ことが大事なのです。

●「2枚目の名刺」でわかった越境の効果

平日の夜や週末に、本業ではなく社外の多様なメンバーと行う期間3カ月程度のプロジェクトを仲介してくれる「2枚目の名刺」というNPO法人があります。私は、「2枚目の名刺」で3カ月間のサポートプロジェクトに参加した人たちに、越境の効果についてインタビューをしました。そこでわかったのは、上下関係のなさ、異質性(葛藤)、抽象度(もやもや)という3つの条件を経験すると、ホームでは味わえない学びが起きるということです(図表4)

図表4 越境の効果
図表4 越境の効果

サポートプロジェクトには上下関係が存在しません。だから、自ら主体的にリーダーシップを発揮しないといけない。社内用語も通じず、普段接しない人と話さなくてはいけない異質な状況下ですが、葛藤しながら異質性にだんだん慣れていく過程があります。

また、会社の業務では、たとえ「仕事を自由に決めていい」と言われたとしても、たいていは大元のミッションに沿って動くものです。しかし、「2枚目の名刺」のサポートプロジェクトのような場所では、抽象度が高く、時にはプロジェクトで何をなすべきか自体から考えるといったことになります。

このプロジェクトに参加した方の中に、「今ある暗黙の前提は、会社の中での前提に過ぎなかったことに気づいた」という印象的なコメントを残した方がいます。会社という枠組みを外して考えることで、自分が本当にやりたいことや得手不得手などを見直すことができる。そうすると、自分自身の価値観、ミッション、バリューが組織にどう貢献できるか見えてくるというのです。

のちほど田中研之輔先生がお話になる「プロティアン・キャリア」のメタコンピテンシーの1つに、変化対応力がありますが、変化対応力だけが高く、「自分とはそもそも何か」という自己認識(セルフ・アウェアネス)が低くては空回りになって進化できません。越境学習は自己認識を持つための学びなのです(図表5)

図表5 プロティアンキャリアのメタコンピテンシー
図表5 プロティアンキャリアのメタコンピテンシー

●「混乱するジレンマ」を意図的に起こし、変容的学習につなげる

成人学習論で有名なジャック・メジローは自分自身のパースペクティブ、世界観が変化するほどの学びを「変容的学習」として定義しました。「そもそも自分は」という前提まで問い直す必要があるため「混乱するジレンマがないと学べない」と言っています。混乱するジレンマとは、たとえば自分自身や身の周りの人が大変な目に遭ったり、人生の中で辛いことに遭ったりする状況です。しかし、越境することで、混乱するジレンマを意図的に起こせるのではないかと考えています。

たとえば、ホームにいるだけだったら、経営幹部として分析、企画、導入、実行ができる能力があればいいのですが、新しいことを行う、イノベーションを起こすためには、(図表6)の『イノベーションのDNA』で示されている5つのスキルが大事だと言われています。この力はホームでは養いにくいものですが、アウェーだと醸成されやすいのではないかと思います。

図表6 経営の実行力vsイノベータの3つのスキル
図表6 経営の実行力vsイノベータの3つのスキル

こうした越境学習の重要な学びは暗黙知になります。暗黙知で説明しにくいため、越境学習を経験してない人や、関心がない人に説明しようとしても伝わりにくいのです。企業の人材育成として意図的にそういう場をつくる必要があるのか、その効果はどうやって測定するのかといったことも、これまでよく問われてきました。

実は経済産業省もイノベーションという観点から越境学習の効果に注目するものの、効果を説明しにくいと考えていました。そこで、越境の効果を見える化するために、去年1年間(2020年)、株式会社ビジネスリサーチラボと私の研究室が共同でプロジェクトを行いました。

たとえば、NPO法人クロスフィールズは、社員を海外の新興国のNGOなどに「留学」ならぬ「留職」させるプログラムを実施しています。また株式会社ローンディールは、大企業からベンチャーにレンタル移籍させるプログラムを実施しています。そういった越境の仕組みを利用した約40人にインタビューをして、そこで何が起こっているのかを、「ルーブリック」によって効果測定したのです。

●ルーブリックの活用で抽象的な効果を整理

ルーブリックとは、ある抽象的な体験を通じた学習の到達度合いを評価する表のことです(図表7)。企業でいうコンピテンシー・ディクショナリーに近いものと考えてもらえればと思います。越境の場面ごとに課題を設定し、どんな傾向が表れたら越境としての効果が上がったのか調べました。Web上で「越境学習 ルーブリック」と検索していただくとすぐに出てきますので、詳細はそちらでご覧ください。

図表7 ルーブリックとは
図表7 ルーブリックとは

そのルーブリックによって検証してみると、越境は主に3つのプロセスに分かれることがわかりました(図表8)。1つめは、越境前にホームで自分の心を整備する段階です。次は、ホームではできていたけれども慣れないアウェーの環境ではうまくできないことや、自分より能力のある人との出会いを通じて衝撃を受けて、もがき苦しみます。でも、だんだん対応とできるようになって能力が高まり、視野や視座が、たとえばベンチャーの経営者と同じくらいのレベルまで高くなるのです。

図表8 越境学習のプロセス
図表8 越境学習のプロセス

しかしこれで終わりではなく、実は越境後にもう一度衝撃を受けることになります。これが3つめです。越境先で高い視座を身につけて、本業である(大)企業に戻ってみると、社会課題に直結しないことが多いと気づいたり、経営者と話せなかったり、いろんなジレンマを感じてしまう。ある人は、「周りの人がみんなゾンビに見えた」と言いました。そうなると、周りからしたら越境学習者は、よそにかぶれて空回りしている人のように見えてしまう。しかし、空回りするのではなく、大企業は大企業なりの良さがあり、急に変化するわけではないけれども、周りに影響力を与えて変えていくべきだということに気づくことで、もう一度成長できるのです。

まとめると、越境前はまず心を整える。越境先では衝撃を受けますが、経営レベルまで視座が高まり、貢献もできる。本業に戻るとまた外と中の差に衝撃を受けます。ですが、自分自身や元の企業や組織を俯瞰できるようになる。そこまでいくと、こつこつと周囲を巻き込んで変革を始める。こうしたことが共通的に見られました。

また、インタビュー調査を通じて、ペルソナをいくつか作成しました(図表9)

図表9 ペルソナ(若手の越境者)
図表9 ペルソナ(若手の越境者)

たとえば、仕事がマンネリ化している若手が越境してベンチャーの経営陣と接し、経営的な視点を身につけた。しかし、本業に戻ったら意見を述べても若手の意見だからと受け入れてもらえない。でも、社外とつながり続けることによって、周りを巻き込む能力が上がっていった、ということが観察できたそうです。

ここで注意したいのは、深い学びを得るのは越境学習者本人なので、周りの上司や人事担当は手取り足取り関与してはいけません。ただ越境者がもがき苦しんでいる様子や、成長している姿には関心を持って見守ってほしいのです。関心は高く、関与は慎重に。あくまでも本人に任せて、本業に活かしてもらうことが大事です。

●越境学習者を尊重する組織文化をつくる

近年、両利きの経営「探索と深化」という考え方が注目されています。企業には、新しい知恵を探しに行く「探索」と、既存事業を深掘りする「深化」がありますが、日本企業の場合、探索は得意でも深化は苦手という特徴があるのではないでしょうか。

これは早稲田大学大学院の入山章栄先生がよくおっしゃっているのですが、探索するイノベーターは、深掘りしている人から見ると、チャラチャラしてるように見えるため「もっと本業を真面目にやれよ」と迫害を受けてしまうのです。探索するイノベーターは、越境学習者ともみなせます。

しかし会社全体で探索する人たちを迫害していると、深掘りはできても、イノベーションは起こらなくなっていきます。組織文化として、“チャラチャラしている(ように見える)人”をむしろ尊重できるようにすることが、もう1つのポイントになると思います。

駆け足になりましたが、ご清聴ありがとうございました。

Ⅱ.最先端のキャリア開発取組事例:プロティアン・キャリアドックの進捗

今日は「プロティアン・キャリアドック」の進捗と最先端のキャリア開発の動向についてお伝えします。プロティアン・キャリアドックは厚生労働省の「セルフ・キャリアドック」のリバイバルのような形で進めている取り組みです。

石山先生がお話しになった越境学習との関係ですが、2つの方向性はとても近いものがあります。越境学習とプロティアンを学術的な系譜で見ると、アメリカで研究されている新しいキャリア研究(ニュー・キャリア・スタディーズ)の潮流のうち、1つがマイケル・アーサーのバウンダリーレス・キャリア(越境学習)、そしてもう1つがダグラス・ホールのプロティアンになります。越境学習とプロティアンは同じ系譜ですが、越境学習はキャリア自律を促進し、心理的幸福を醸成するものです。プロティアンはキャリア資本を捉え、より戦略的にキャリアを設計しようという考え方です。人事部門だけでなく経営層の方にも知っておいていただきたいと思います。

今回セミナーのお申込み時に、キャリアドックの内容や、ミドルシニア社員へのモチベーション維持施策についての質問がありましたので、そちらにお答えしながらお話ししていきます。

●プロティアン・キャリアドックは総合的なキャリア形成プログラム

今般のコロナ禍ですが、感染者数が落ち着き、緊急事態宣言が解除されると、ますます「働き方」に注目が集まると思います。先日、サントリーホールディングスの新浪剛史社長が「45歳定年制」を提言して話題になりました。また政府では、定年を現在の65歳から70歳、73歳という形で延長することを考えており、経済同友会は「より主体的なキャリア形成」を提唱しています。一言でいえば、これまでのキャリア形成ではいけないということです。そのことにいち早く気づいて、適切なアクションがとれるか。目を背けると、経営層からすると、社内の優秀な人材は逃げていき、外からは優秀な人材を確保できない。そして、個人からすると、自律的なキャリアを歩めるか歩めないかで、社会格差さえも生じてくると考えています。

こういった流れの中で、2年前にプロティアン・キャリアドックの構想を立てました。すでに住友商事、ポーラ化成工業にご協力いただきながら、半年間のプログラムが動いています(図表1)

図表1 プロティアン・キャリアドックの進捗
図表1 プロティアン・キャリアドックの進捗

プロティアン・ドッグは、総合的なキャリア自律を促すプログラムとして、年に1回のキャリア研修といった形式的なものではなく、パルスデータによる定期的な診断をもとに行動変容を見ながら、組織としての生産性向上や競争力アップに資する取り組みを行っています。また、全社員に展開できるようにeラーニングのコンテンツを作り、更には、キャリア相談、1on1のメンタリングも実施しています。

今から我々が「よく生きる」ために取り組むべき2つのXがあります。それは「DX」と「CX」です。私が特に大切にしているのは、CX(キャリアトランスフォーメーション)の方です。今後5年、10年という間に、組織内キャリアから自律型キャリアへの大きな地殻変動が起こると考えています。その地殻変動にいち早く気づいて新人材戦略を構築し、行動に移さなくてはなりません。実際に取り組んでいる企業は、売上も伸び社内人材のキャリア自律も進んでいくというデータが既に取れています。

CXを推進していくに当たっては、「主体的なキャリアを形成」を意味する「キャリアオーナーシップ」がキーワードになります。この30年間、グローバルシーンにおける日本企業のプレゼンスは低下しています。日本企業は生産性や競争力といったポテンシャルを活かしきれていないのです。こうした課題に対し、キリン、KDDI、コクヨ、富士通、パーソルキャリア、MKI、ヤフージャパン、LIFULLの8社が「キャリアオーナーシップとはたらく未来コンソーシアム」を組んで、キャリアオーナーシップの醸成や、研究・提言活動に取り組んでいます。

アニュアルレポートも出てきますが、これは、2020年に公表された、伊藤邦雄一橋大学CFO教育研究センター長を座長とした、経済産業省の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書〜人材版伊藤レポート〜」を受け継ぐ形で、より具体的な施策や課題感、方向性を示すものです。

現在の取り組みについてまとめると、私も直接管理職の方や人事の方々と対話しながら、経営戦略とキャリア戦略を実現するためのプロティアンメソッドを伝えたり、新人材戦略の立案や実行を行っています。「自律型にすると、組織から人が辞めていく」というお考えの方もまだ多いのですが、「自律型人材が活躍する企業の方が元気になる」という根拠がすでにあります。企業は、社員が主体的にキャリア形成をしながら、その能力・ポテンシャルを最大限に活かせる場所でなければなりません。優秀な人材から選ばれるためにも、必要に応じて仕組みをつくり替えていく必要があります。

●キャリア開発工程のデータ分析によって、キャリアオーナーシップが進む

キャリアオーナーシップを推進するには3つのポイントがありますが、特に「キャリア開発工程の定量的・定性的データ分析」が日本企業の人事部門の弱みとみています(図表2)

図表2 キャリアオーナーシップ推進へ
図表2 キャリアオーナーシップ推進へ

つまり、主観的な判断を行っているということです。テクノロジーがこれだけ発展して、あらゆる機微がデータで残せるようになっているにも関わらず、1 on 1は上司と部下との密室空間で行われており、上司の主観的な記録メモがアーカイブされ、それだけが参照されているというのが現状です。もっと企業の経営戦略や事業戦略においては、データを使って定量的な分析ができるはずです。こうした課題意識から、いま、キャリア開発工程の定量的・定性的データの蓄積と分析に取り組んでいます。

また、これまでHRの分野で行われてきたのは行動適性の分析でした。行動適性、つまり「変わらないもの」を把握して、それに対して施策を打っている。ストレングスファインダー®、パーソナリティ診断、適職論がまさにそうですが、そういった考え方をしないことが大切です。ミドルシニアのキャリア形成で考えれば、55歳で役職定年になってもその後10年あります。リスキリングといったスキルのトランスフォーメーションも必要ですが、その間の行動変容をそのまま分析する必要があります。行動変容(ときっかけや要因)の相関関係がわかれば、具体的な人事施策が見えてきます。ご協力いただける企業があればぜひ協会にご連絡をいただき、ご一緒にデータを取っていって、本当に適切なキャリア施策をやっていければと思います。

キャリア施策はまだまだ未開の領域なので、やるべきことは多いのですが、プロティアン・キャリアドックでは、組織内キャリアから自律型キャリアまで全方位でプログラムを進めています。外部講師が来て1時間話して帰ったというだけでは行動変容は起きません。プロティアン・キャリアをしっかり届けることで、キャリア開発のサポートを、経年的に提示したいのです。

●組織が個人のキャリアを応援すれば、個人も組織に貢献する

私自身もプロティアン・キャリアに出会ったことで大きく変わりました。2008年に法政大学に着任してから3年ほど経ったころ、「このまま大学にいたら、自分のキャリアはどうなるんだろう?」と不安になりました。終身雇用はありがたいけれども、自分のキャリアがまったく成長しないのではないかと焦ったのです。なぜならば、学生や研究者とは話せても、他の業界の人とは話せない、閉ざされた場所にいると感じたからです。そこで、自分自身で越境していったのです。

いま、各社の取り組みで私が関心を寄せているのは、人事部門の組織名の変更です。これまでは、人材開発部や人事部と入っていたのですが、最近は、エンプロイーサクセス、キャリア開発支援室、タレントマネジメント、タレントグロース部門などに変わってきています。これは素晴らしい動きだと思います。人事部門が管理や調整、労務部門から、人的資本の最大化に向けて意思表明をして、グロースセクションへと転化しているからです。

この動きは組織が個人のキャリア自律を応援していると捉えることができます。組織が個人のキャリア自律を応援すれば、個人は組織に貢献するようになります。私が経営層の方々と直接お話しするときには、このことを強くお伝えするようにしています。

プロティアン・キャリアの考え方のうち、主体的なキャリア形成の2つの鍵は、「アイデンティティ」(自分らしくあること)と「アダプタビリティ」(変化を活かす力)です。自分らしくといっても、自分勝手に変わっていくのではなく、社会・組織・チームのニーズに合わせて変化しながら、よりよくしていく。プロティアン型でアイデンティティを突き詰めていくと、パーパスに出会います。内省的に目の前の仕事に向き合うようになると、自分が働く存在意義や組織の存在意義、そして組織が社会に存する社会的なパーパスが見えてくるのです。

パーパスを掲げて組織開発をすることが多いと思いますが、運用フェーズでは、社員一人ひとりが内なるアイデンティティを大切にしながら適応することになります。すると、自然と組織が求めるパーパスに出会うということです。

●『LIFE SHIFT』が伝えた無形資産の大切さ

ベストセラーとなった『LIFE SHIFT』は、人生100年時代の心構えを教えてくれましたが、その中で私が一番興味を持ったのが、「無形資産の見える化」です。それは、「人的資本の可視化」と言い換えることもできます。この分野は、日本では未着手だったため、データをとって可視化することに取り組み、『LIFE SHIFT』の日本版として、企業の現場で使えるキャリア設計、キャリア資本の蓄積、転換について書いたのが著書『プロティアン』になります。

従来型の「教育→仕事→引退」といった3ステージモデルで考えるからミドルシニアのキャリアモチベーションが低下するのです。人生100年時代を見据えたキャリア設計の中に今の仕事を埋め込むと、モチベーションは低下しません。だから50歳とか55歳のキャリア開発プログラムの中では、70歳とか75歳になった時にどうありたいかについて徹底的に考える。そうすると、目の前の仕事に対してモチベーションがぐっと上がるのです。目の前の業務に対するコミットメントよりも、未来の位置に立って現在を振り返るバックキャスティングで考えることに意味があります。

また、『LIFE SHIFT』で語られた無形資産(インタンジブル・アセット)を、私は「キャリアキャピタル」として捉えました。「キャリアキャピタル論」で検索していただくと、いろいろと論文が出てきますが、これもまだ日本ではあまり紹介されていません。

キャリアキャピタルとは、自分で3年、5年、10年というようにキャリアに関する資本を貯めていこうというものです。これまでは、たとえば1カ月働いて、その対価が給与として支払われました。でも給与として受け取らなくても、働きながら溜まっていくビジネス資本やクライアントや同僚と働く中で溜まっている社会関係資本があります。ビジネス資本も社会関係資本も、すぐに経済資本に転換されなくてもいいんです。しかし、ビジネス資本と社会関係資本の価値を企業側が認めない限り、エンゲージメントは高まらないというのがポイントです。

●ミドルシニア社員のキャリア開発支援のあり方

事前にいただいた質問の中で特に多かったのは、「ミドルシニア社員のキャリア開発は効果ありますか?」というものです。答えは「Yes」です。

ミドルシニアのキャリア開発支援の設計については、段階的支援手法をとるべきです。これには、外部の人と連携しながら行う方法と、社内の人に専門知識やスキルを習得してもらって内製化する方法の2通りありますが、どちらを選んでいただいても構いません。ただし、外部の人間に依頼する場合、関われる期間が限られるので、できるだけ内製化した方がいいでしょう。

では、具体的にどこから始めるべきか。プロティアン・キャリアドックでは、導入はeラーニングで行います。組織内キャリアから自律型キャリアの必要性について、その裏付けをまず認識してもらうのです(図表3)

図表3 ミドルシニア社員のキャリア開発支援、ロードマップ
図表3 ミドルシニア社員のキャリア開発支援、ロードマップ

そして1on1はやはり大切だと考えています。ただし1on1を1人で、全社員向けにやると疲弊します。1 on 1のキャリアミーティングは、最初は組織的な呼びかけや仕組みにし、自主的にやりたいという旗が立った人や職場から徐々に進めてもらうのがいいでしょう。

チームや部署でのキャリア戦略会議も有効です。経営会議、事業戦略会議と同じように、キャリア戦略会議も月に1回、30分でもいいので入れてほしいとお願いしています。特にテレワークだと、キャリアについて語ったり、今の働き方に関する不安や悩みを話すといった機会はほぼゼロです。これが不安や不信につながり、転職エージェントに相談して転職してしまう。

辞めていく理由は、組織が社員一人ひとりのキャリアに向き合っていないからです。少なくとも向き合うための仕組みは動かすべきだと思います。兼業・副業、社外の越境学習機会提供も合わせて実施するといいでしょう。

ミドルシニア社員向けのキャリア開発に関しては、彼・彼女らの行動関心にフィットしたフィードバックの在り方というものがあります(図表4)

図表4 ミドルシニア社員の行動関心にフィットしたFB
図表4 ミドルシニア社員の行動関心にフィットしたFB

人によって刺さるポイントが異なるので、社会変化に対してなのか(例:今の職種はキャリアの寿命が短い)、企業戦略に対してなのか(例:組織的にこういう方向に進んでもらいたい)、それとも個人の成長に対してなのか(例:今の業務に成長実感を感じるか)など、各人に合わせる形でキャリアアドバイジングをすると、うまくいきやすいです。そのようにして気づきを積み上げていきます。

●キャリアは未来設計で打ち出すことが大切

企業は、キャリアは未来設計だと社員や社外にメッセージを打ち出した方がいいでしょう。従来型の研修では、たとえばWill、Can、Mustを書き出したりキャリアの棚卸をしたりします。しかし、キャリアの棚卸研修をオンラインでやっても盛り上がりません。なぜかというと、すでにわかっていることであり、過去のことだからです。むしろ盛り上がるのは、新規事業を立ち上げよう、新しいことをやろう、提携しようといった話です。キャリア戦略会議も同様に、過去の振り返りだけでなく、未来設計という視点で行うといいと思います。

加えて、トランジションという点ではなくて線や面でアドバイスを行い、そして調整とかコントロールではなく、タレントグロースであることを伝えていくとよいでしょう(図表5)

図表5 ミドルシニア社員へキャリア開発支援
図表5 ミドルシニア社員へキャリア開発支援

キャリア論の理解を深めたら、次は1on1です。具体的なダイアローグ・ケースも挙げておきますので、ぜひフィードバックをお願いします(図表6)。ミドルシニアの社員に、「3年後にどうありたいか」なんて聞かないでほしいと言われますが、そういう文化から変えていかなくてはいけません。

図表6 ダイアローグ・ケース(例)
図表6 ダイアローグ・ケース(例)

そして、月に一度、1時間でいいのでキャリア戦略会議を行います(図表7)。実際に実施している企業は、月に1回、70人・80人と集まっています。5、6人のチームに分けてブレイクアウトセッションを行っていくと、ママさんのキャリアとか、シニアのキャリアとか、若手のキャリアといったようなチームが自然にできてきたりもします。これがまさにキャリア自律です。社内でもキャリアオーナーシップについて、このように、やれることがある。社内でやれることをやったうえで、越境学習などを実施するといいでしょう。

ただ、組織なので、プライバシーに配慮する必要もありますし、上司にすべて話すことが難しいということもあります。そうした場合には、第三者としてメンターやアドバイザーを入れるのもいいと思います。

図表7 ミドルシニア社員のキャリア開発支援、ロードマップ
図表7 ミドルシニア社員のキャリア開発支援、ロードマップ

●ヒューマンリソースマネジメントから、ヒューマンキャピタルマネジメントへ

プロティアン・キャリアドッグは、キャリア論“なのに”、経営戦略や事業戦略の真横に位置付けています。これまでのキャリア開発施策とは異なり、組織内の連携をとるようにしたのです。生産性向上(タスクマネジメント)、チーム力向上、ミドルシニア社員とのコミュニケーションの円滑化、タレントの管理からグロースなどの全てに取り組みます。「人的資源管理」であるヒューマンリソースマネジメントから、ヒューマン“キャピタル”マネジメントへ。キャリア開発施策を行うことによって、目に見えないヒューマンキャピタルをどれだけ組織で、戦略的かつ中長期にマネジメントできるか。また個々の心理的幸福感を高めながら、組織の生産性の向上にどうつなげていくか、ということが、いま問われているのだと思います。

本日はありがとうございました。

図表8 プロティアン・ キャリアドックの目指すべきゴール
図表8 プロティアン・ キャリアドックの目指すべきゴール

Ⅲ.クロストークバトル・質疑応答

越境学習とプロティアン・キャリアの違い
司会:越境学習とプロティアン・キャリアの特徴や親和性について、補足をいただけますでしょうか?
田中:

越境学習とプロティアンのサマリーをお伝えする前に問いを立てると、たとえば1つの組織で同じ業務、同じメンバーで長年働いていた場合、パフォーマンスやビジネスパーソンとしてのポテンシャルは上がるのか。これは、私は結構難しいと考えています。欧米やヨーロッパの場合、新しい仕事へのアサインや自らの手挙げによって新しい経験を経て、自分の価値を高めたうえで、越境や転職するのがスタンダードです。

欧米系のジョブ型を真似る必要はないとは思いますが、見習うべき点が1つあると思います。それは、一度しかない人生において、働いている時間が大半を占めるわけですから、心理的幸福感を持って、組織に貢献しながら自分のやりたいことに向き合うのがいい、ということです。つまり、本質的な「働き方」を実現していく必要があると考えると、これまでの組織内キャリア、つまり日本型雇用の“持続と延長”とはズレがあると思います。そのズレのなかで苦しんでいる人が、ズレを自ら埋めてセーフティネットを張っていくための施策として、越境学習やプロティアンがあると思うのです。

言われてから動くのではなく、まず自分たちでできることの最初の一歩として、主体的に意思決定をする。今日のようなセミナーに参加することも、皆さんとっても私にとっても越境です。こうした積み重ねによって行動や知見が変わっていきます。

越境学習とプロティアンの違いは何かというと、どちらも方向性は同じですが、プロティアンは時間軸をやや長く捉えています。越境経験を重ねながら、偶発的にキャリアが形成されていくというクランボルツの考え方に対して、計画的・戦略的にキャリアを形成していくのがプロティアンです。プロティアンの方が、おそらく行き着く先での成功確度も高いと考えています。

石山:

従来のキャリア理論の考え方では、きちんと自己理解をして、職業を理解し、プランニングすると幸せになれるという考え方でしたが、変化の激しい現代、それでは間に合わなくなっています。キャリアを“自分が何者であるかを大事にしながら築いていく”と考えたときに――これがプロティアンそのものですが――自分が何者であるか、本当の価値観や興味関心があるのかというのは、自分自身ではわかりにくいものです。またそれ自体も変わっていく。越境学習は、自分が何者かがわかる貴重な機会であり、プロティアンが実現するための場面みたいなものであると考えられます。

越境学習を推進している事業者の方たちの話では、越境を希望する熱意を持った人、つまりプロティアンを実践しているような人でも「あなたの存在意義やミッション、バリューを教えてください」と聞くと、実際は会社のミッションやバリューを答えてしまうことが多いそうです。そういう人たちであっても、自分のミッション、バリューが語れずに、会社のミッション、バリューと一体化しているというのは問題だと思っていて。もちろん重なる部分もあるけれども、100%一致しているわけではないはずです。100%一致していたら気持ち悪いと思うのです(笑)。

つまり自分と会社を引き剥がすのが越境学習で、引き剥がすとプロティアン・キャリアが見えるのではないでしょうか。

アイデンティティが1つだと苦しい
司会:ご講演の中でアイデンティティとアダプタビリティのお話がありましたが、これからキャリアを進めていくうえでは、アイデンティティを深掘りするところが重要、という理解でよいでしょうか。
石山:

ずっとホームにいると、「自分らしくあること」と「会社らしくあること」がぴったり一致してしまう。それが課題になるという意味です。「自分らしい自分」は、1つではないかもしれません。むしろ1つでかっちりしている方が、おかしいかもしれない。パラレルキャリアとか越境学習では、自分らしさというアイデンティティが複数見つかるかもしれません。

アイデンティティとは、主観的な自分らしさでもある一方で、他者から見ても「あの人らしいな」と思うこともアイデンティティです。そうすると会社にいるときの自分と越境しているときの自分と、アイデンティティが2つでもいい。アイデンティティが2つあることを「なぜだろう」と考えることで学びが深まったりダイナミズムが生まれたりする。それがおそらく田中先生のいう社会関係資本と関係があるのではと思います。

田中:

私も同じことを考えていました。従来のエリクソンによるアイデンティティ論では、田中という1人の人間の身体の中には、「田中らしさ」というアイデンティティが1つだけ存在するという、自己同一性としての概念でした。しかし、この考え方は苦しいものです。私が行っているアスリートのセカンドキャリア支援でも、その苦しさが如実に表れます。選抜システムでトップクラスになった子たちが、働きながら企業でスポーツを続けたりプロになったりしますが、引退した時に、今までやってきた競技者としての自己が失われると捉えてしまう。これはシングルアイデンティティの最大の問題で、自己否定につながる。

この自己同一性が自己否定につながるケースは、ビジネスシーンでも見られます。ビジネス人生において、シングルアイデンティティである大きな失敗をしたとき、1つの自己同一性だと、おそらく精神的にも相当追い込まれると思います。ここがポイントなのですが、そうではなく、我々はもっとしなやかに豊かに、複数性の自己を生きていいはずです。

自己同一性は、画一化、均質化した日本の行動資本主義経済で一度は成功しました。1970年代、80年代までは、1つの自己を成し遂げることが成功だと言われていたのです。これは、エドガー・シャインのキャリアアンカーの8つの分類の1つに当てはまる、“自分の大切な1つを磨き上げると幸せになる”という生き方ですが、これは神話だったということなのです。

たとえば、職人としてずっと何かをつくり続けている方は、シングルアイデンティティでアウトプットを出していくことが幸せでしょう。しかし、働く現場では、自己同一性とはズレるようなオファーばかりです。それを「やりたくない」と言い切れるか。あるいは「やってみよう」と思えるか。それが人生の大きな分かれ目で、後者は越境学習の動機づけになるし、プロティアンの最初の一歩にもなると思います。

しかし、この「やってみよう」は、1つしかないシングルアイデンティティを自分で壊すこと。これは難しいことです。だから複数性の自己を持っていた方がいいのです。

経験的に言うと、3つか4つくらいのコミュニティに定期的に属して、複数性の自己を生きるといいでしょう。すると、もし1つがうまく行かなくても、あとの2つがサポートしてくれる。社会関係資本は従来型のセーフティネットと経済学で捉えられていましたが、社会関係資本こそセーフティネットだと思っています。だから『LIFE SHIFT』で、リンダ・グラットン氏ら心理学者や経済学者が、これからのセーフティネットは無形資産だと述べていることに意味がある。つまり、働いて、キャリアを成し遂げて、大きな不動産と良い車を買って……といった有形資産だけでは、心理的幸福感は維持されないと言っているのです。

経営から見ると危険思想!?
石山:

いまのお話について、別の見方もあります。3つ、4つのコミュニティを掛け持ちすることで、自己が複数生まれ、その葛藤をダイナミズムが生まれて、成長につながり、組織にも貢献するという流れだと思いますが、これは一部の経営者から見ると、「危険思想」に見えてしまうこともあります。複数の自己を持っているよりも「会社らしい自分」1本で貢献してほしいと考えるからです。自己が複数ある(ことで貢献先が分散される)ことは危険だという思想につながるわけです。

しかし、会社に束縛された状態で、会社らしい自分があるだけでは、貢献できることは限られ、新しい発想も出てこない。そこが弱みになるのです。結局束縛しても会社にとっていいことはありません。また、束縛しておいて途中から“別のところに行ってほしい”と会社に言われることもある。ですから田中先生もおっしゃる通り、そこを経営者や人事部がいかに早く認識できるかが勝負になると思います。

田中:

それについて、次の2つのフェーズがあると考えています。1つの組織に帰属して働いている多くの人は、定年退職を迎えるまで、“日常とは働くこと”だと、どこかで思っています。しかし、これは間違いです。

まず、1970年後半ぐらいから、余暇やレジャーが注目されるようになりましたが、それは働くあなたを大切にしながら、余暇の時間は趣味やボランティアなど、新しいチャレンジしましょう、というものでした。

現在は、次なるフェーズに移行しています。政府は、働くこと以外の余暇の時間での副業・兼業を推進し始めており、テクノロジーによってそれが可能になっている。さらにコロナ禍によって「働くこと」が不可視なものとなりました。

副業は収入が伴わないものでもかまいません。リンダ・グラットンたちの説の面白いところは、そこで経済的な報酬が得られようが得られまいが、どちらでもいい。大切なことは心理的幸福感があるかです。

個人にしてみれば自由度が高くなっている反面、人的資源管理論の視点からは、管理ができない状態です。だから経営者や人事部の不安要素が高まっている。だからこそ、「そんなことをされると辞められるから止めさせろ」と言うのです。

実のところ、経営層、特に生き残るために切磋琢磨してきた創業者の人たちは相当な確率でプロティアンだと思うので、思想としては理解してくれると思います。ただし、ブレーキをかけているのは、大企業なら中間管理職。ここがノンプロティアンなんです。大企業で成功して、組織内で昇進をしてきた方たちが、どれだけアンラーニングできるかが、肝なのです。そういう意味で、中間管理職のトップ層の方たちが率先して越境学習した方がいいと思います。

石山:

いかに経営層や中間管理職の方々に考え方をシフトしてもらうかは、大きなポイントですね。ただ、副業を推進しているいわゆる先進的な企業でも、副業の前提条件として、本業とのシナジーが期待できないものはNGとしていることがあります。あるいはミドルシニア向けの講演でも、自律について話すのはいいが、ボランティアをすすめるような話はやめてほしい、会社のことだけを考えさせてほしいといったケースもあります。また、ミドルシニア向けには副業の話をして会社の外に関心を持ってもらってもいいが、若手に向けては困るとか。そういうことがとても多いのです。だから最近潮流が変わってきたと言われますが、実は昔からあまり変わってない側面もあるというのが実感です。

研之輔先生のおっしゃる通り、経営層の方は修羅場をくぐったり越境したりといった経験を持つ方が多いので、越境とかプロティアンにはすごく関心が深い。しかし実際は、経営者がそっちの方に明確に舵をきっているかというと、そうではない場合もある。やはり辞められると困るのです。

働くために生きているのではなく、生きるために働いている
田中:

そこで私はテクノロジーの話をしています。1970年代のシングルアイデンティティの時代は、こんなにテクノロジーが発展していませんでした。たとえば今般のコロナ禍のテレワークで、対面で顔を見ながらでなくても働けることに気づきました。

私は大学で教えていますが、昨年度はゼミを対面でやりたいと言っていた学生が、今年、対面は月1回でよくて、あとはオンラインでできますと言い出す。これがまさに変化だと感じています。一度経験すると後戻りはできません。

とはいえ、時代は変わっても、なぜ働くのかという本質の部分については考える必要があります。我々は働くために生きているのではなく、生きていくために働いています。そこを間違えてはいけません。人生100年時代は、「よりよく生きるために、より良く働く」。そういうライフキャリア論を大切にしています。そうすると越境もプロティアンも、「組織に従属する個人」という考え方から脱却できると思います。そのより良く生きるためにテクノロジーを使い倒すべきなのです。

石山:

働くために生きるのではなくて、生きるために働く。これは一番大事な点ですね。日本の場合、「会社で働く」ということは人生のすべてで、そこに友達も生きがいも求めてきたけど、でも「生きること」と「会社」は全てがイコールではないということを、再確認した方がいいと思います。しかし、そのシンプルな事実がなかなか確認できないのが難しいところではないでしょうか。

田中:

本当ですよね。我々がやるべきことは見えていて、1つは「生きるために働く」ということをきちんと伝えていくこと。もう1つは、人生に占める時間が長い、働いている時間を、我慢して働くのは損であること。やらされながら没個性で働くこと、いわば虚構の組織内エンゲージメントに付き合わされる必要はないと認識することです。

私は、プロティアンに出会う前、着任して最初の3年間は教授会が嫌いでしょうがありませんでした。しかし、この時間を、この組織、このチームに対して何ができるかを考える時間だと、「主体」を変えてみたのです。すると、提案したりまとめたり、それをより良くしていくためのPDCAサイクルが回り始めると楽しくなってくる。これがキャリアを主体的に考えることなんだと悟りました。そうしているうちに、自分の幸福感も高くなり、組織にも貢献し始めるようになりました。だから主体的にキャリア形成している人は、組織のエンゲージメントも高まっていくのです。このエビデンスデータをとって、今後発表していきたいですね。

石山:

希望通り異動させてあげることはできないから、その人にキャリア論を話しても無駄と言われることがあります。しかしそんなことはなくて、今の職場で、自分の生きる意味や大切に思っていることをベースにしながら、組織をどう変えていこうかと考えること自体が、キャリア自律でありプロティアンなのです。やりがいやエンゲージメントに一番関わる部分であるにも関わらず、これまで個人の可能性を組織が信じきられていないから、束縛されて組織のいう方向性に合わせてほしいとしか言われてこなかった。しかし本人が生きる意味を見つけ、今の仕事をどう変えていくかを工夫すれば、変わっていくし、それで本人がキャリア自律していくことは組織にとって怖いことではないと思います。

主体的になると、人は辞めるのか?!
田中:

石山先生にぜひ聞いてみたいのですが、「主体的になると人は辞める」のですか?

石山:

100人越境したら2、3人は実際に辞めることもあるかもしれません。これをどう見るかだと思います。残った人たちはより幸せになって、組織に貢献しようするはずです。また、越境しなければその2~3人は辞めなかったのか、という見方もある。

田中:

データを出したいですよね。たとえば、サイボウズの青野慶久社長は「昔、離職率が高かった。それは個々の強みではなく、チームのことばかり考えていたからだ」、つまりキャリア自律できていないときは高かったと言っています。そういう問題意識から、100人100通りの人事をはじめ、制度的にもキャリア自律を応援していったら、定着率が劇的に上がったのです。

自律的になると人は辞めるというロジックは間違いだと思っています。主体的になったから辞めるわけではなくて、様々な理由で辞めようと思った人が辞めているだけ。一番問題なのは、主体的でない人が溜まりすぎているという状態です。そういう人が100人中72人~80人いて、キャリアプラトーに陥っている。特にミドルシニア層に多いのですが、そういう人たちを再活性化させるためにはキャリア自律しかないと思っています。そういう人たちに対しては、「組織のために貢献してほしい」というメッセージは絶対に刺さらない。そうではなく、今の仕事をしながら週1回、別の越境学習の機会を提供すると、やる気になるのです。

いろいろ都市伝説がありますが、「主体的になると辞める」という、キャリア業界における都市伝説を示すエビデンスは何なのでしょうか。

石山:

キャリア自律した方が、幸福度が高まるといった調査報告は結構ありますが、離職率との関連まで精緻なものとなると少ないかもしれません。それを見て思うのは、社員個々人のキャリアを大切にしている組織だったら、キャリア自律している人ほど辞めないと思います。しかし、キャリア自律を大切にしない組織だったら、何かのきっかけに辞めていったり、嫌々働くと思います。ですからそれを大切にしない組織は結果的に業績は上がらないでしょうし、自律した人を引き止めることも難しいのではないでしょうか。

田中:

因子は難しいのですが、どこかでエビデンスをとらないといけませんね。まず、これまでのような組織内でのキャリア形成が文脈としてある中で、キャリア自律の達成度とそのインパクトを特定しなくてはいけない。そしてもう1つは、個々のライフキャリア形成におけるキャリア自律の意味を特定しなくてはいけない。かなり難しい相関やデータ分析になると思いますが、できなくはないと思います。

私がプロティアンを広める際、言葉も非常に重要だと感じました。現職に着任して1年目、「キャリア自律の最新理論がプロティアン」だというキャッチコピーで広めました。ただ一方で、ご支援することになった企業の経営層からは、キャリア自律への恐れの意識が感じられました。ですから、いまは意図的に「キャリア開発」という言葉を使うようにしています。「キャリア開発の手段としてのプロティアン」という位置付けだと、スッと納得されやすい。でもやっていることは主体的なキャリア形成なのですが。

日本企業における働き方は、これまで自律させない傾向にありました。一方、欧米では、インディペンデントワーク、アントレプレナーシップといった脈々とした歴史的経緯があり、「働くこと=自律」です。グローバルシーンで考えた時の日本型雇用は、オーガニゼーショナルキャリア、組織内キャリアの最たるものだと思います。

石山:

世界でも類を見ない、ある1つの領域に達してしまったのかもしれませんね。

田中:

発明だと思います。しかも不動産ローンも連動しています。大学を出て、一括採用で入社して、オンボーディングとOJTで育成する。ラットレースが始まり、結果が出る前に年収の何十倍もの住宅ローンを組む。そうすると会社を辞められません。そういう流れがあるなかで「自律」と言われても、実際のところは難しいですよね。でも最近は、ダイバーシティの流れもあって、フリーランスの方、副業・兼業を行う方も増え、ようやく多様な働き方ができるようになりました。

私と石山先生の共通見解としては、「キャリア自律を応援できない企業にはいい人材は集まらないということですね。たとえば越境学習できている人はリスキリングなど、スキルが高いため、同じ業務が続くと退屈になります。同じ業務だけやっている人でも、実力に対してチャレンジが低ければ退屈になることが、チクセント・ミハイのフロー理論等でもわかっていますから。

石山先生も退屈になってきたからいろいろ移動してきて今、法政にいるんですよね?

石山:

いやいや(笑)。でも成長実感が高いところにいく、というのはあるでしょうね。

シニアのやる気を下げる「二重メッセージ」を出していないか
石山:

シニアのやる気の話に付け加えると、日本型雇用という完成された形のなかでシニアの方のやる気がなくなっていく構造ができてしまったと考えています。さらにそれは「エイジズム」も関係していると思います。エイジズムとは、年齢差別のことで、加齢によって知能やスキルが落ちて活躍できなくなるという考えが日本型雇用によって強化されてしまっている。定年再雇用になると、賃金を下げ、役職による影響力を抑えて若手に技能継承するのが正しいスタイルだ、というような考えが埋め込まれてしまっているように感じます。

50代後半になったらやる気を出しなさいといいながら、その一方であまり出しゃばらずに若手に権限を委譲して、技能継承だけだよといった二重メッセージを出しても、うまくいくはずがありません。実際、結晶性知能も流動性知能も80歳くらいまでは落ちないという研究もあるので、むしろ60代・70代でも、どんどん成長して第一線で活躍していくべきなのです。定年制を廃止したり延長したり、仕事を変えずに活躍を促進し始めている企業と、できていない企業の差が出ていることも大きなポイントだと思っています。

田中:

『LIFE SHIFT2』が、10月に刊行されますが、この本で言っているのは、まさにエイジズムに対するアンチテーゼです。プロティアンの中でも、生物学的年齢による差別や認識のズレに対しては、「キャリアエイジでいいよね」と言っています。個々人がそれぞれ知見や経験、マネジメントスキルを積み重ねてきたのに、一律に定年で線を引く制度もおかしい。そういうゴールを決めるから、逆に逃げ切ろうと考えるんですよ。

また、これまでの組織内キャリア論だと、定年までの期間が短かったから逃げ切れたかもしれませんが、今は逃げ切るのも難しい。だから思いを持ってミドルシニアの人たちに、「逃げ切れないよ」と言ってあげるべきなんです。何の説明もなしに早期退職制度を始めるとか言うから、ハレーションが起こるのです。

サントリーの新浪社長のあの発言は、「辞めろ」と言っているわけではなくて、「気づけよ」と言っているのだと思います。あれぐらいのメッセージを打たない限り、気づかないのです。

(編集部追記: 45歳という節目に人生を考える仕組みをビルトインし、その後の人生を考えられるようにという意図で新浪氏は発言)

石山:

「45歳定年」という議論は年齢で捉えてしまっていることに問題があります。本質的には、「定年制廃止」という議論をすべきで、年齢で語るべきではありません。年齢にかかわらず、どう働くかを考えるべきではないでしょうか。

田中:

法制度をいじるというと、とても難しい話になる。それをやるべき対象の人たちもいますが、キャリア論からのアプローチでいうと、自分たちでできる働き方改革とは何かを考える必要があります。大きな先行投資が必要なわけでもありません。越境学習は、オンラインイベントやリアルなイベントに行ってみる。副業に関しても、エンファクトリーやアナザーワークスはじめ副業支援のサービスがたくさん出ています。そういうチャレンジを許し、特にミドルシニアの人たちに対しては、これまでの組織内キャリアを一度褒めてあげる。そのうえで、組織が守ってくれるという思い込みを解き、組織にしがみつく考えから脱してもらわないといけません。

越境学習・プロティアンは心理的幸福度を上げる
石山:

テクノロジーも進化するなかで、遠隔地で副業をするリモート副業でうまくいく例も出ています。越境学習にはリスクを冒すイメージがあるかもしれませんが、ちょっとした「お試し」もたくさんできるので、そういう多様なものを利用して、うまく、安全に一歩踏み出せるといいと思います。

田中:

私もリモート副業とか新しいサービスが出ると、必ず登録しています。キャリア資本とは、ありとあらゆる経験を資産として捉えるので、新しい経験をして失敗した方がいいんです。同じことを変わらずにやっていても、自律から遠のき、資本も高まりません。

究極的に人が幸せを感じることは何かと考えたときに、これはエビデンスもありますが、美味しいもの食べるとか、高級なもの買うといったことでは、それほど幸福感は高まりません。それよりも、自分が成長できるとか、何かの役に立つとか、地域や組織に貢献できるとか、そういうことに心理的な幸福度が高くなるんです。越境学習やプロティアンというのは、そういう人の背中を押してくれる考え方だと思います

石山:

失敗しても蓄積していける人って、好奇心が強い人だと思います。好奇心をもって、いろいろと実践していくことが、幸せにつながるのかなと。

司会:最後に改めてコメントをいただけますでしょうか。
田中:

今後もいろんな機会に石山先生とぜひご一緒させていただきたいと思います。やはりやるべきことは、「自律すると辞める」ことに関するエビデンスですね。これはどこかのタイミングで、定量的・定性的に出さなくてはいけないと思います。

石山:

田中先生もおっしゃるとおり、経営層や世の中に実態をもう少し示す必要があります。それは研究者の責務ですので、頑張って実態がわかるエビデンスを示したいと思います。今後ともよろしくお願いします。

司会:

本日は誠にありがとうございました。

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