第62回 「グローバル」は眉をしかめられる?

「あなたは世界で戦えますか?」先月の東洋経済誌の特集(6月19日号)が出た後、たまたま自宅を掃除していたら、7年前の同誌の「グローバル人材特集」が出てきた。7年前と言えば、私がNHKの教育テレビ「実践・ビジネス英会話」の番組講師をやっていた頃だ。当時の特集は6ページ。今回の特集は40ページ。私に言わせれば、あまりにも遅すぎる特集内容であるが、それでもこの7年間で「グローバル化」に対する世間での認識が高くなってきたことを確認することができた。

ところで、この7年前の番組、私が最初にNHKに提案したタイトルは「グローバルリーダーのマインドセット」とか「グローバルリーダーの思考力」であった。しかし、NHK側は受け入れてくれなかった。曰く「グローバルなんて、一部のエリートのことなんですから、公共放送の我々としてはダメです。」と。私は「どこが一部のエリートですか?」と反論を試みたが、最後は担当プロデューサーも「船川先生のお気持ちはわかるのですが、上の方が・・・」という組織人としての「伝家の宝刀」話法を持ち出してきた。私は不本意ながら「実践・ビジネス英会話」というタイトルを飲んだが、サブタイトルはBecoming A Leader(リーダーを目指して)と意地を見せた。

もはや、NHKでさえ「グローバル」は一部のエリートの話ではないことは十分理解しているだろう。そして、このコラムで再三指摘してきたように、「全球化」(中国語のグローバライゼーション)というステージが現実のものとなってきている。私は「全球化・グローバル」のステージが到来してきたことを9年前に書いた。特に強調したかったのはもはや、アメリカ一極中心主義のグローバル化ではない点だ。西洋化、植民地化、半球化(北半球のみの発展)ではなく全球化に突入している、但し、脆弱な全球であると述べてきた。

さて、これだけ全球化が進展している中でも、いまだに「グローバル」はネガティヴな響きがあるようだ。実際にグローバルビジネスに関わっている人、活躍する人にとっては日常のビジネス風景であり、いいも悪いもない現実であるのだが、国内にしがみつきたい人からはこの2010年の今年でさえ、まだ色眼鏡で見られるようだ。「グローバルというと眉をしかめられるのですが・・・」、「私はどうも、グローバルってきくと胡散臭さを感じてしまうのですが・・」という発言は一度は二度ではない。

そして、恐らく150年前の開国から言われ続けてきた「グローバルって、結局、日本の良さを無視するのですか?」という質問も今年だけで数回受けてきた。なぜ、日本人の誇りと良さを持ちながら、世界で活躍することが両立できないと思うのだろうか?「日本」と「世界」は反駁するのだろうか?もういい加減にこうした狭隘な見方から脱却できないものだろうか、と切に願う。